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  映像研究

コム・デ・ギャルソンについて

・202310171928。帰宅する京王線で書いても良い。タイムカードの上では途切れなく20日ほど業務が続くことになっている。先週の段階では、この火曜日は唯一の休みになるはずだった。けれどもならなかった。職場へ行って作業する必要があるが、ならば、せめてと、午前から午後前半までを休日のように過ごす。

 

・11時に原宿。青山のコム・デ・ギャルソンへ。伊勢丹で複数回下見と試着をした結果、気になるズボンを思い切って購入してみようと思った。かなり高額な衣料品だから緊張する。試着して30分くらい検討したのちに購入。カードを差し出し分割で。これまでに所有したズボン(あるいはボトムス、いずれによせパンツと言いづらい)で最も高額なサンリミットの黒いズボンよりも、もう少し高額だった。コム・デ・ギャルソン・オム・ドゥの物で、グレーのツイードのように見えるけれども、実際はポリエステルで軽い。死ぬまで履くか、と自分に問うてみて、履くと考えた。

 

コム・デ・ギャルソンと言うと、今でも池袋西武の中の、それほど大きくないショップの雰囲気が思い出される。10代の自分にとってそこは特別に緊張感のある場所だった。そのためか、少なくとも30代までは、コム・デ・ギャルソンの服を自分が所有することを分不相応と感じ、考えていたのではないか。そしてその考えが解けたように、この数年リサイクルショップなどで偶然手にして着てみている。アーカイブと言うのか、おそらくは多少古い物もある。その流れではじめて正規に購入した。

 

・記憶をたどる。自分の父親はある時期、数年に一度、コム・デ・ギャルソンのジャケットを購入していた。それほど服装に拘りがあるように思えなかったし、全然似合っていないと思っていたが、あれはいったいどういう判断による選択だったのだろうかと、時々思い出して考える。それは父親にとって40代から50代にかけての時期だったはず。おおむねそのまま1990年代と重なる。吉本隆明的な価値観がうっすらと響いていたのか、何かに対する目配せだったのか。一度、聞いておけば良かったと思う。なぜ、コム・デ・ギャルソンなのかと。感覚的には分かりそうにも思うけれども。

 

・いま自分がその当時の父親の年齢に近づき、コム・デ・ギャルソンの服を購入し、着てみることは、父親の生活した時間とその人の思考をなぞろうとすることであるかもしれない。「なぞっている」と思うのは、生活の諸々のバランスの中に、少し別の要素として、コム・デ・ギャルソンの服を置いているということだろうか。いずれにせよ、似合っている、というようなことからは遠い。無意識であれ、意図して「無理」を導入している。そのように選ばれた服は、所有し着る人間にとって象徴であり得る。象徴ではあっても、記号として捉えているのとは違う。

 

・服を通して、かつて自分と生活をともにしていた人の存在を自分の身と重ね合わせることはできるだろうか。その人の視界を想像する。その想像の視界の中の自分の姿を見る。輪郭をなぞり重さをはかれば殆ど今の自分と変わらなく、しかし形ではなく動きが細く軽いから頼りなく見える。心配されていたのだろうかと思う。そのような視線が生きた時間が確かに存在したと思う。証明するものは無い。

 

・全然違う事。写真家である清野賀子について調べるようになって、コム・デ・ギャルソンについて、また別の感じを持つようになった。川久保玲という一人の創造がその根源であることに、今さらながらに興味を持った。そしてその人によって生み出された服が、東京という街に抜き難く存在していることのユニークさを思うようにもなった。その服を着た人を写真に撮ることとは、いったいどういう行為であり得るかと今年の夏には考えていた。あるいはその服を着て写真を撮ることも。

 

・このように書いてみて、けれどもすべては調子に乗って高額な衣料品を購入したことに対する言い訳である。自分の身体はどんどん新しくなる。その身体がいきいきと動く冬をイメージしながら。冬に向かって。