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  映像研究

記録

・後から書いておく記録。9:30から19:30までが光の速度で消えた。業務のイベントの一日。意識を切り替えながら色々な仕事をする。衣料品のことを気にしながら生活をしているのは、暖かい気候のせいか、それとも書く作業を中心とした生活から離れたことによるのか。日々出会う友人や知人の装いも気になる。業務上多少ちゃんとして見えるジャケットが欲しいがいつもその場凌ぎのような買い物を繰り返し結局ジャケットと仲良くなれないままに年齢だけが増えていくのか、と春になる毎に同じ言葉を発している。昨日はアナトミカのサーマルの上に無印良品のしゃかしゃかした黒いジャケットを羽織ってみた。古着のベイカーパンツにウェストンのゴルフ。今日はサンリミットの白いシャツの上にユニクロのベージュのカーディガンを羽織ってみる。コムデギャルソンのパンツにウェストンのゴルフ。きつくなってきて業務の途中でリュックに忍ばせたオーロラシューズに履き替える。たとえば、食べたものを書き留めておくことが記録として蓄積されると面白いように、このように、日々身につけているものを純粋に書き留めておくことも蓄積されたものを読み返せば自分にとってきっと面白いのだろうが、継続することはおそらく困難でもあると思う。そういえば、ある時期のダイアリーでは、定期的に所有している衣料品をすべて箇条書きしていた。特定の方法でしか描き出すことのできない生活史がある、とも考える。日記はそのようなルールすら設けない、あるいは設けたルールに飽きたならば、その飽きた事実も含めて残されるという側面がある。そして継続することは記録するためだけでなく、継続それ自体が、人にある姿勢を育てる。育ちゆくことが目に見える季節に、目に見えさらに触れられる衣料品のことを考え、そして目に見えないことを考えている。人の内側でうごめくものについて思う。人の内側で変化するものを、その変化の方向を、感じ取りたい。