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  映像研究

図書館は開館

・202002271116。中央図書館にて。貴重な一日に図書館で作業をする。図書館の風景はいつもと変わらないように思う。いつも座る席の机にアンケート。自由記述欄に「いつもありがとうございます。気持ちの良い空間だと思います。」と記入してカウンターまで持っていく。この空間の良さとはなんだろう。いつも考えている。それは「見ること」についての考えにもヒントを与えてくれる。こんな時に、家の近くに一緒に勉強する人がいたらなぁと思う。この図書館の少人数の勉強部屋を借りて何かをしている学生を見るたびに本当に羨ましく思う。実際にその学生は「この空間は贅沢で今幸せだなぁ」とは思わないだろう。文化祭の準備とかでやむなく集まっているだけかもしれない。親の目の届く範囲から逃れてゲームとかしてるだけかもしれない。だとしてもそこには何らかの自由が感じられているように見える。

 

・家の目の前の切られた木の切り株をiPhoneで撮影してみた。撮影した写真で家の目の前の切られた木の切り株を見る。

 

・滞っていた文字起こしの仕事を少し進める。今日はその後自分の研究を進めなくてはいけない。フランス語の宿題も。と思いながらもSWITCHの川久保玲という人のインタビューを読んでしまった。清野賀子の写真について考えるようになってから、コムデギャルソンの服について考えることも増えた。そういえば唯一持っていたのはメッセンジャーバッグで、初めて服を買ったのは去年の今頃だったかもしれない。コムデギャルソンの服を着ると「コムデギャルソンの服を着た人」になってしまうから、という理由で敬遠していたが、しかし「それほど気にしているのならば一度『コムデギャルソンの服を着た人』になってみてから考えた方が何らかの実りがあるのではないか」と考えて、適度に皺の入ったパンツを購入してみた。「それほど気にしているのならば一度『iPhoneを使っている人』になってみてから考えた方が何らかの実りがあるのではないか」も全く同じ発想だった。

 

・早めの昼食を取ろうかと考えて中断。

 

・作業を進めては中断。既に予約を取っていた3月初めの本屋でのイベント中止のお知らせ。「あー来るだろうなこれは、来ちゃうだろうな」と思ってはいたが、いざ来てみると残念という気持ちと仕方ないという気持ちと少しだけほっとしたような感覚もある。イベントの中止。「自粛」というよりももう少し強制力をもって解散させられるようにして、起こるはずだった出来事が消える。あるいは先延ばしになる。この感じは2011年の3月11日以降の日々と似ているようで微妙に異なる。違う現実の中にいる。

 

・作業を中断して語学を進めて中断。タイムラインには「コロナウィルスの拡大を防ぐために3月2日の月曜日から全国の公立小中高を休校にする」という言葉が流れる。その言葉を読み、その意味を考えて、変化するであろう街の光景を想像してみて、ついさっきまでとはまた何か違う現実の中にいると感じる。「長く生きていれば色々なことがある」というフレーズを聞いたことがある。いつかこの出来事がそのように語られることもあるのだろうか。今は2020年。2月の終わり。寒さが少し戻っている。ここは中央図書館。静かに勉強をする人たちが集まる空間。

 

・202002271930。そういう意味で書いたのではなかった今日の日記の題は「図書館は開館」だが、この図書館はいったいいつまで開館していてくれるのだろうか。わからない。家にはたくさんの本がある。どこであれ、黙々と勉強をする、ということになるのだろうか。

 

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