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  映像研究

別の場所 3/3

・旅行の最後の日は少し悲しい。それが夏の終わりの旅行ならば尚のこと。

 

・キャンプ場のコテージを10:00にチェックアウトすべく慌ただしく宴を片づける。調子に乗って食材を買いこみ、さらに持ち寄り、結果として食べきれない飲みきれないことを反省。けれども食材を分けてそれぞれに持ち帰ることは、嬉しいことでもある。焚き火の匂いのする場所から持ち帰った食材が冷蔵庫にある限りは、生活に少しだけ旅行の余韻がある。

 

・集合写真を撮影して。

 

・少し車を走らせて、小淵沢駅から近い道の駅ではやめの昼食を食べたならば、解散する。かつて皆で山に登り東京まで一緒に帰ったのは15年近く前だということに気づいて、気づくまでもなく知っていることではあるけれども、その時間を思うとき、不思議な気持ちになる。その気持ちを仮に「切ない」と言ってみて、その切なさを題材として、誰かと話し合うことも良いけれども、何かの作品にできたらいいのにと思う。物語ではなくイメージの断片として。

 

・夢中で生きている。親しい友人たちが夢中で生きて変わり続けていくことを、呆然としながら、そして安心するような感じも持ちながら、時々思う。時々は思っても良いし思うべきとも考えた。

 

小淵沢駅で友人と子どもたちを見送って、インターから中央道に乗り運転する。夏の午後らしい時間だった。帰宅するのを惜しむようにサービスエリアで二度三度休憩する。おそらくは旅行の帰りの道中であろうさまざまな人たちの振る舞いを見ながら、何かを考えていた。山を開拓して建てられたサービスエリアはアスファルトのかたまりのようでとても暑い。観念して車に乗り直す。渋滞に飲み込まれつつゆっくり東京へ帰る。

 

・帰宅して荷物の中の布という布を洗濯機で何回かに分けて洗うまでが旅行。鍋とコッヘルを洗い食材は冷蔵庫に仕舞う。帰りに買えたお土産のワインを冷やして家族の帰宅を待ちながら、特別な時間が少しずつ閉じる。