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  映像研究

別の場所 2/3

・夏の終わりの小さな旅行は2日目。

 

・去年の旅行と同じように尾白川渓谷で滝を見る。主には集合写真を撮影するために、カメラ(GW690Ⅲ)と三脚を持ち歩いていたけれども、少しひとりで散歩する時間があって渓谷の樹木や岩壁の様子を見て写したいと思った。太陽が雲で隠れると光量が足りずに手で持った状態では写すことができない。シャッターを切ることはできるが、時間が長すぎてぶれてしまう。そうした当たり前の事を前に三脚を立ててファインダーを覗くことを繰り返す。陽射しは刻々と変化していて、写したい感覚も逃げていくように思う。一枚の写真を写すことは難しいと思いながら。

 

・友人が双眼鏡を持っていて、双眼鏡で見ることが面白いと言う。貸して貰って覗けば遠くの物体の質感が迫るようで新鮮な感じがある。目で見る風景の奥行きが潰れてひとつのイメージになるような。

 

・「撮る」ではなく「見る」。

 

・夜には火を焚きながら昨晩に続きビールやワインを好きなだけ飲む。好きなタイミングで好きな物を好きな分だけ飲食すれば、自分が望むことを理解する状態に近づくように思う。それぞれに普段の生活でどのように近しい他者と関わっているのかを聴き合えば、その時間に得た感触が、また自分が生活に戻った時の基準になる。

 

・いつでも友人と集まった時の会話から「課題」や「宿題」あるいは「問い」のようなものを持ち帰っていた。皆それぞれに生活の態勢や独自の配分がある。気がつけば作り上げられていた。もしもそれを変えたいと思うならば、思い切って変える、あるいは、少しずつ変えることになる。