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  映像研究

回復

・回復のための土曜日。雨の降らない6月後半の土曜日を、ただ心身の回復のためだけに過ごしても良い。

 

・5月の連休に市民まつり的なイベントで購入した多肉植物「フリーダカーロ」の花が咲いていた。花というと瑞々しい色彩を思うが、フリーダカーロの花はあらかじめ落ち着いた色と質感を湛えている。それが多肉植物の艶やかさと対比されて面白い。

 

・「哲学対話」について勉強していることもあり、雑誌『ニューQ』を読み直す。読み直した流れでポッドキャストの番組『ニューQラジオ』の存在を知り数年前に収録された音声を聴く。雑談のようでありながら話題とされている事柄の本質を探ろうとする様子が面白く、家事や食事をしながら聴いていた。

 

・昨日発売されたボリス・グロイス『ケアの哲学』が届き早速読む。前提とされる「物理的身体」と「象徴的身体」の対比的な概念で、すぐに躓きそうになるが、パラパラと読み進めてみる。「ケア」を傍に哲学史を辿り直す試みでもあるようだ。ならばケアの議論を導入にしてハイデガーにも再び三度挑戦してみたい。

 

・出掛けていた家族がOKストアで購入したピザを抱えて帰宅したから早めの夕食。各種各所不調はあるが少しビールも飲む。久しぶりに見た『ドキュメント72時間』は沖縄宜野湾市のお弁当屋さんの回。基地のある街の様子を映していた。

 

・そして一時間ほど半身浴しつつ『ケアの哲学』の続きを読む。目にとまった「ニーチェによれば健康を表明することは攻撃である」ということが腑に落ちるように思える。そうならば、一日の中で、自分は、攻撃をしているように思うときもあるし、攻撃を受けているように思えるときもある。

 

・グロイスが読むニーチェの考えに従えば、いきいきとした生活の断片をインターネットに公開することは、一種の攻撃であるだろう。「健康はエネルギーを意味し、そしてエネルギーはこの有機体のために世界に場所を生み出すという活動のうちで、それ自体を表明するからである」、「こういうわけで、健康はそれ自身を肯定し、その環境を支配しようと闘うがゆえに、攻撃的なのである」と書いてある。まだ続きは読んでいない。

 

・同時に、どこかで日記を書くことはセルフケアである、という言説を読んだ。それもまた腑に落ちるところがある。それでは、このようにして考えたことを書き留めている、公開される日記とは、攻撃である側面とセルフケアという側面、その両方を持つのだろうか。中断して眠る。