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  映像研究

10年後

・ある時間から10年後の現在を記録しておく。3月10日は入籍をした日で、それは10年前の今日だった。「啓蟄も良いかも」と相談していたが色々な事情から3月10日になったことを辛うじて記憶している。数年書いていた(そして脱落した)「10年メモ」を探し出せばその一日がどのような日だったのか記されているこもしれない。新居への引越しと新年度の準備と友人たちと計画していたイベントの準備とで慌ただしく過ごしていたのではないか。新居が建つ周囲の雰囲気を、春の空気とともに確かに覚えている。今はもうない建築や今はもういない人を思い、それ自体実体のない時間を思う。

 

・10年後の今日は、午前中に製本した論文をお世話になった方に郵送して、午後は先月末に続き友人の新居の壁を塗る作業を手伝いに行く。このようにして、さまざまに変化をし続けながらも、あり続ける物事や関係性があると思いながら、新しい空間が生まれることを感じていた。作業の合間にお茶を飲み団子を食べれば、それはこの10年のある側面が圧縮された瞬間とも思える。日々手伝いに集まる人たちの近況を伝え聞けば、それぞれに新しい時間に向けて動いていることを知る。それを知り、焦ることはなく、同じ時間を生きているのだなと思う。限られた時間を共有している。

 

・作業を終えて少し時間があったから町の銭湯を紹介してもらう。汗を流して電車とバスを乗り継ぎ、途中で家族と合流して最寄駅まで。予約していた近所のお店から電話を貰い急いで向かう。鰆の刺身、山菜の天ぷら、蛤の酒蒸し、食べたかったものが全部食べられた幸福。それを無心で食べながら、しかし思い返せば褒美のような食事だと思う。何かを褒美と感じたならば、それをさまざまな形で齎した他者に思いをめぐらせる。