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  映像研究

空白(意味の過剰)

・あとから書く記録。業務の一年間の成績が出る特別な一日。特別だからこそ情報に溢れすぎてブラックホールのような空白と感じる一日でもある。暖かいから黄色のヨットパーカーを着て出かける。夜に搬出の手伝いがあったから車で職場へ。中央道に乗るとドア・トゥ・ドアで30分。10:00には職場に着き何やら慌ただしく過ぎ気がつけば20:30。搬出の手伝いを終えて帰宅すると22:00過ぎ。クール・ダウンする余地なく夕食を食べる。食べながら週末の夜のオンラインでの友人たちとの会話。の途中で記憶を失う。始まりから終わりまで人に向けて言葉を発する一日だったが何を話したのか覚えていない。帰りの車で同乗した方たちと「オフの日は何をしているか」「オフとはどの程度オフなのか」という会話。自分の考えるオフは「(恥ずかしながら)ひとりで車でアウトレットモールに行くような日です」と答えてみた。何かを買うことが目的というよりは思考から離れることが目的だということだろうか。ふいに発してしまった言葉から自分の体勢と欲望を考える。表現とも評価とも離れた状態が必要だと感じる。あるいは「発見」や「新鮮さ」とすらも離れた状態で知覚や認識を微睡むように遊ばせる時間が必要だと感じている、ということだろうか。楽しいとか嬉しいとか、認識とか学びとか、何もかもから無縁な場としてのアウトレットモール。辛うじて「見る」と「選ぶ」だけがある。それは別の誰かにとってはビデオゲームであったりするのだろうか。などと考えるものの、ひとまず明日からまた自分の作業をする。