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  映像研究

時間に出来事を

・5月になってしまった1日。思い出して書いておく日記。

 

・どなたかの日記に「2022年も1/3が終わり、」という意味のことが書いてあり、ふつうに少し考えればそのままそのとおりなのだけれども、来たる5月の「5」という数字の印象が強く、過ぎ去る4月の「4」のことをすっかり忘れて、「5、5、5」と思うと奇数の感じが12で割ることと結びつかなくて、突如の驚きとともに「2022年も1/3が終わり」の事実を受け入れようとする。

 

・2022年の5月はどのような月になるだろうか。

 

・焦りながら、しかし正気を取り直し、作業をしない日には、必要な出来事をきれいに一日の時間の中に収めることをイメージする。区切れたスペースにぎゅっと詰まっている。折詰の弁当のように。

 

・4月の終わりの土曜日は晴れて、しかし暑くなく、というか涼しく、絶好の筍掘り日和。先週の土曜日以来だった。妻の実家へ。最盛期を過ぎていることなどから出荷(の手伝い)はせず家で食べる用に茹でる。火を焚いた記録は写真。その後帰宅して休憩、洗濯、のち一人でカイロプラクティックへ。都内に出かけていた家族と再集合して車で時々行く人気の酒屋(a.k.a 大人の駄菓子屋)へ。帰宅して明日の報告の準備など。本当は衣替えをしたかった。

 

・5月のはじめの日曜日は業務がなく、午前は自宅からオンラインで自分が学生である方の面談。自分が進めている作業に関してさまざまな観点から指摘をいただく。いよいよこのような機会も少なくなってきた。気がつくとこの時間は消えていることが想像できた。有り難い、と思う時間があるならば、できることをするよりほかにない。

 

・連休中に味噌をつくろうと思っていたから糀と大豆を購入するために雨の中ドライブへ。せっかく外出するならばと道中に寄れそうな多摩美の美術館の企画展を見る。「水」について考える手がかりが掴めそうだった。その後無為な買い物もした。母の日の何かを検討することは叶わなかった。それでもいくつかの予定を消化して日曜日の夜にいる。

 

・連休が終わればあっという間に夏にいることを予期しながら。