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  映像研究

はじまりと途中

・202301031809。家のデスクで作業の合間に書いてみる。指が「2023」と動くことに慣れていない新しい年の最初の記録。

 

・元旦は大晦日から自分の実家で好きなものを好きなだけ飲み食べ、2日は妻の方の家族と外で昼食をし、その後本屋で買い物して夕方から岩盤浴へ。体調に気をつけつつも出来る限り心身を緩めることを目指す。何人かの友人や親戚から年賀状をいただき、また山部のメッセンジャーでも年始の挨拶を交わし合う。そうした諸々に対して、ふと、いつからこのように、自分にとって適切と思える年末年始を過ごすようになったのだろうかと考えてみて、それはやはり自分が家族という単位で生活するようになって以来と思い至る。そしてこの生活も3月で10年になる驚き。

 

・年頭の心持ちも例年と変わらず、当然のように「(現在)見ている事」と「(未だ)見えていない事」がある。だが違いもある。2021年と2022年は「文章を書く年」ということにしていて、気づけばそれが終わった。学生をすることも3月で終わる。そのような現在だから新しい年というよりは、新しい年度の予感の中にいると感じる。3月までは「最後の準備」というような感じもある。ここはその途中。そのことが何より面白く楽しみでもある。

 

・日記を少し読み返して確認したならば、一つの仕事を辞めることが決まっていた2017年の1月と今は少し似た感じかもしれない。この数年「2023年度になったら(やるから今はできません)」を口癖としていたことにより、今この瞬間だけは「何でも出来る」と思っている。ずっと温めていた「英語の学習」、「古典映画の鑑賞」、「哲学の基礎の勉強」などに加えて文字通りの「筋力」と「持久力」を鍛えたい。さらに出来る限り写真を撮り、可能な範囲で旅行に行き、あわよくばギターを弾きたい。次から次に溢れる。

 

・そうしてしばらくは「見極める」あるいは「見定める」時間を過ごすのだろうか。2023年は、目に見える物を見て、確かに聴こえる声を聴き、そして見極め、見定めることになる。引き続き、何と言うことも難しいような風景を掴む時間を持ちながら。

 

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