&

  映像研究

感動

・202301041924。帰宅する京王線iPhoneを2023と滑らせる。今日は仕事はじめ。何人かの人に向けて「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いします」と声に出してみて、ようやく年が変わったことを感じる。ところで、業務の最中でふとした時に「感動」という語を口にした。年齢を重ねるごとに「感動」という語を用いるハードルが下がっている。そのことには少し前から気がついていた。以前ならばそのような語は何よりも遠ざけられた。たとえば、ある作品の感想として「感動しました」などと言えば無意味に等しい。しかしここに来て「感動」の語を頻繁に用いるその理由は、他に言いようのない「感動」と言うことが相応しい状態があり得ると思うようになったからであり、また、文字通りの「感(ずる心)」が「動く」ことの重要性が腑に落ちたからでもある。外から見れば、恥じらいを失い続けている人間のようにも思われるかもしれない。だがそれは新しい試みでもある。定型的な形容の語を用いるならば、その語に内実を与えるように語る必要がある。無意味に思えるほどに磨耗した語を、アイロニーに陥らず、輝かせるようにして語りたい。