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  映像研究

人間

・後から書いてみる月曜日の日記。5月が終わる感じを記録しておきたい。基本的に月曜日は業務がなく家で休みつつ自分の書く作業をするが、今日は例外的な業務案件のために出勤。「オンラインで大丈夫ですよ」とも言われたが、数時間の移動の時間を得ることよりも安心安全に業務を遂行する方を選択する。そしてせっかく職場に行くのならば週の後半の業務の準備もできると考えた。時間があれば書店にも寄りたい。

 

・午後から夕方までの業務が終わったところで職場の方と少し反省会。諸々片づいたところで、いつも声を掛け合う関係で気にかけて貰っている少し年長の方から「少し余裕出てきました?」と尋ねられ、確かに年末年始の希望を失いそうな状況や、2~3月の差し迫った段階と比較すると、5月の山を乗り切ったことは大きい。しかし「おかげさまで余裕出てきました」と返答した場合に今後押し寄せてくる業務の展開を考え、かと言って「引き続き全然やばいです」と返答するのも端的に嘘なので、本当と願望を混ぜ合わせながら、「多少の余裕が見えたり見えなかったり」というあたりの返事に落ち着く。卑屈にならない程度に多方面に謝りながら自分のことをしている。その後別の方から偶然にも業務外の映像関係の案件についてうかがう。皆そのように何らかのバランスをはかりながら生きている。考えながらつくっている。人と人の間で。

 

・18:30に業務を終えて京王線で帰宅。調布で途中下車して中央図書館へ。Amazonで注文して予定よりもかなり配達が遅れている本がある。宅配の現状など考えるとそれも仕方がない、というか、当然のことだろうという気持ちがある一方で、そろそろ届いてくれると作業が進むのだけれど、という気持ちもある。キャンセルをするタイミングを逸した、ということかもしれない。高くない本なのでいっそリアル書店で買ってしまおうかとも思うが、さしあたり図書館でぱらぱらして、本当に即必要な本なのか確認するという方法を採用する。図書館で借りても良いが、延滞がおそろしいので大学図書館以外ではあまり借りない。借りるくらいならコピー。という逡巡を経て結局ぱらぱらするのみに落ち着く。配達を待ちながら。

 

・最寄り駅までの電車で家族と合流して帰宅する。知らない人が往来する中で知っている人が現れる瞬間はいつもなぜこんなに良いのか。どれほどに生きていてもわからないことがあり、わからないままで良いと思うことがある。夕食は昨日のラタトゥーユの残りにショートパスタ。昨日夜にタイミングが合わず聴けなかった『Travelling Without Moving』をタイムフリーで流せば時空が歪んで週末の夜をもう一度。今夜から明日午前は雨の予報。

 

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