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  映像研究

ここは

・202206142115。帰宅する京王線で書いてみる。今日は業務のない日だが、午後から準備のために職場へ。職場に着いたならば驚くほどに仕事があった。当初の目的だったAをすることなく、手始めにBに手をつけたならばBの深みに入り込み、更にCとDとEまでが接続されていた。切り上げて今。

 

・こうして帰宅する京王線に座っていると、何かを待つ心理の中にいるのだと時々思い出す感じがある。世界的な疫病が消え去ることを待っているのだろうか。マスクを着用せず何の躊躇いもなく飲食することを待っているのか。あるいは戦争が終わることだろうか。「待つ」という言葉が示す一方には「待ち望む」気持ちがあり、それは希望と結びつく。他方で「耐え忍ぶ」ような気持ちもあり、それは現在の感覚や思考をほんとうと捉えない体勢を生む。

 

・少し前に親しい友人と話をしていて、思わず「閉塞感」と口にしてしまう。慌てて「凡庸な表現なのだけれども、」と付け加えてみても空しい。それは物価の上昇や教育を含む労働環境の困難などの文脈でふと放たれた言葉だった。工夫をすれば自由を感じることはできる。しかし現実にある事象を一つずつ挙げていけば、確かに希望を持つことは難しい。

 

・言葉を発することは、そうした中でせめてシェルターのような空間を立ち上げることに繋がるだろうか。日記の言葉の良さは、それがどこまでも非広告を探究するからだ。言語の起源に他者が存在する限り、純粋に自分のための言葉は無い。しかしだからこそ探ることはできる。探り動いたならば空間が生まれる。この感覚がずっと揺るがなくある。

 

・追記:かつて「ロスト・ジェネレーション」という言葉があり--というのは元々の意味だった第一次世界大戦に遭遇したアメリカの若者たちということを踏まえつつの日本で2000年代後半に盛んに論じられた世代論だけれども--、その語が繰り返され略称なども生まれた最中には、まさに自分の世代が社会問題となっているのだな、という少しの高揚感のようなことがあったかもしれない。自分はどこか呑気でもあった。2008年くらいのことだろうか。この日記を辿れば知ることもできる。大まかに言って「谷間の世代(バブル期の裕福には間に合わず今後回復するであろう恩恵にも与らない)」と考えられてきた。そうした喧伝が特殊な自意識を形成してきたとも言えるだろうか。しかしそれから15年近くが経ってみて、これもまた大まかに言ってみれば「貧しくなり続けている」という感覚がある。就職の状況などは現在と20年〜15年前では異なるだろう。しかしながらそうした数値化され得る「回復」とは別に、豊かさを感受することの困難が様々に張り巡らされていると思う。

 

・基本的には自分のライフステージから眼差す。しかし色々なきっかけで自分よりも年齢が少ない人の視座と出会う。(当然年齢が少ない人であれ条件や環境は様々ではあるが)往々にして「ハードだ」と感じる。ゲームならばハードモードと言える。とても自分にはこれはできない、と感じる。その恐れのようなものが自分に何かを考えさせることもある。

 

・その「豊かさを感受することの困難」の進行について、仮に「閉塞感」と言ってみた。「豊かさ」とは何か。「豊かさを感受する」とはどのようなことか。そして様々な「困難」とは何に起因するのだろうか。こうした漠とした問いと映像や写真について考えることの間で揺れてきたのかもしれない。振り子が次第に大きく弧を描くように、自分の身体の速度が落ちていくように、集中的に考えることは1〜2年のスパンから5年・10年のスパンになりつつある。それを素早く行き来する、あるいは架橋することもできるのだろうか。今そんなことばかり考えている。