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  映像研究

・202205202108。帰宅する京王線で書いてみる。こんな日ばかりは書くことが難しいと思いながらも書いてみる。できるならば生を、あるいは、幸福を記録しておきたいと思う。それは自分の信を形成する。けれども生にはつねに別の側面もある。それを記録することは難しい。生きている自分が語る言葉は本質的な疾しさと共にある。

 

・午後エクセルシオールで少し作業している時に友人から連絡を貰う。信じがたく、理解することが難しい出来事を伝える内容だった。誰に向けて、どのような言葉を浮かばせればよいのか。足りない、あるいは相応しくない、言葉にすることができない、という出来事が確かにある。業務の最中は瞬間的に忘れることもできていただろうか。しかし一人になると色々な考えや感情が染み出してくる。

 

・生きている人が放つ、才というべきか、強い個性を想う。なぜそのようであるのか、崇高さとも言える力のかたまりのような人を思い描いている。おそらくは数回かもしれない、言葉を交わした時に感じたものは、圧倒的な軽みと、高速の回転が生み出すような重さの共存。その表情に凝縮された生を、いま思い出している。