&

  映像研究

ことばとからだ

・後から書いておく記録。

 

・月曜日。連休も終わり、と言いながらも、自分は月・火・水と自宅で自分の作業をする。これは他の人からすれば休日のような生活。そうすると、毎週前半はゴールデン・ウィークということになり、そうならば、もはや、2022年とはゴールデン・イヤーなのでは、という考えが5/5くらいに浮かんだ。浮かんだが、あまり大っぴらに言わない方が良いのかもしれない。逆に積極的に周知して貰った方が良いのかもしれない。ひとまず書いて、残しておく。それさえもきっと数年経てば忘れてしまうから。

 

・日曜日の業務+会議+飲食という一日は重かったようで、月曜日は軽めの「ぐったり」だった。とはいえ今週は作業を一旦報告する必要があるから進める。いま書いているブロックを42,000字くらいまで進める必要があるが、どうにか40,000字の手前まで辿り着いた。よろよろあるいはふらふらしながら進むイメージ。

 

・いつもは言葉のない音楽を流しながらあるいは無音で作業しているが、書いている箇所が文献の読解ではなく作品分析だからということもあり、対談を流しながら書いてみる。Youtubeに期間限定で公開されていた『ドライブ・マイ・カー』についてのトークイベントのアーカイヴ。少し前に知って見ておきたかった。学生(学部生)の頃に接点があったという伊藤亜紗さんと濱口竜介監督の対話を興味深く聴く。作業をしながら。あるいは時々作業の手を止めて。

 

・対話の中で「『人生最高の会話』ってなんですか」というトピックがあり、話者や聴講者そして視聴者もその突然の質問に巻き込まれていく感じが面白かった。「人生最高の会話」について話すことはかなり究極の自己開示でもあると思う。ステージの対話では、この「人生最高の会話」における「言葉」と「体」についての展開があったが、自分は、自分の記憶をたどりながら、特に「聴く」ことについて考えていた。「会話」は双方向だけれども、自分の場合はどうしても「自分が話したこと」についてはほとんど一切の記憶がなく、誰かが話した言葉の意味(=形)も消え去って、ある感じを聴いたことだけが残っている。そういうものだろうか。

 

・作業の手が完全に止まったならば、連休中にまとめて購入した『XD MAGAZINE』のバックナンバーを読む。特集は「聞く」と「学ぶ」。そして新しい号は「動く」。活動を10年来気にしている方が掲載されていて、そのアーティスト写真が面白いなと思ったら知人(後輩)が撮影していた。良い仕事と思ってじっくり見ると色々な想像が浮かぶ。そういうことも面白い。

 

・家族が帰宅して夕食を食べながら『ズームバック×オチアイ』をNHKオンデマンドで。「“新しい戦争”のその先へ」と題されている回。SNSで拡散されるあるいは歴史に残る「大きな言葉」に対して、語りべが語り継いでいくような声を「小さな言葉」と示していたことが印象に残る。「『小さな言葉』が戦争を遠ざける抑止になっていたのでは」とも考察されていた。後半での柳宗悦との接続にも興味を惹かれる。番組が繰り返し映し出し読み上げた言葉は柳宗悦の「私には教化とか同化とかいう考えが如何に醜く如何に愚かな態度に見えるであろう」だった。