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  映像研究

連休という(非)日常

・あとから書いておく記録。この日もまた微妙に寒い。デスクに向かって作業を再開した。気がつけば論文全体は160,000字を超えていて、随分と遠いところまで歩いてみた感覚。一日で最初の一歩からこの地点まで辿ることが難しくなり、しかし何度も通読することで、その全体を空間的に把握することができるようになる。「あの話、あのあたりに書いたな」というように。論文という形式だから基本的には線的に書くが、引いて見てみると部分的には星座的にも思える。

 

・何をしたのかあまり記憶がない。

 

・20:00から下北沢B&Bの配信イベント。渡邉大輔×諏訪敦彦「『私たちの映画』のために 映画を作ること、見ること、教えること」を視聴する。渡邉さんが示された「ワークショップ映画」という語はダイナミックに現在の映画をある側面から掴み出すと思われる一方で、諏訪さんが制作と批評を通してやられていることは、もう少し別の何かなのではないか、という気持ちを2時間ずっと持ちながら見て聴く。しかしながらそれはおそらく渡邉さんも自覚されているのかもしれない。それほどまでにある種の映画が危機的あることが、このような対話を必要としている。そのことを思う。

 

・映画における方法、演出、制作が、そのまま社会(小さく、かつ、仮設的であるかもしれない)へのはたらきかけでもあるというあり方について。久しぶりに考えてみたいと思う(思うが叶わないので書いておく)。ジャン・ルーシュ人間ピラミッド』を見ることから再開してみようか。

 

・その視聴を終えて22:00から山部オンライン・ミーティングは幾十回目か。コロナ禍で試みられたオンラインでの会話は数えきれないほどの回数を重ねることで、それが一つの日常の形式になる。東京二十三区、神奈川南西、山梨、神戸が接続する。熊本が、秋田が、接続される可能性もある。自分は東京多摩地区担当。かつてはみな東京多摩地区に住んでいた。そう考えると誰もが別の場所に行った。春の終わりの夜に。

 

・2011年の5月の連休には高尾の友人の家でフィッシュマンズのライブを見ていたのではなかったか。山菜狩りとかした記憶。

 

・どういう流れだか、会話は「映画」と、「家族」と、「幸福」をめぐって話されていた。マス・メディアを通して著名な方の、あるいはソーシャル・メディアを通して身近な方の「ライフ・コース」や「ライフ・ステージ」「ライフ・スタイル」を浴びるように生活していると、どこかで自分の感覚や思考に本来の自分のものではない形式がインストールされるように思うから、素朴に過ぎると思いながらも、やはり最低限の精神の自由を。正解なきことを楽しみ、豊かになり続けることを信じる。そういえば大抵自分は信じる担当だった。