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  映像研究

春の終わり

・202104301914。駅前のスーパーへ買い物に行き、帰宅して、夕食の準備をするまでの時間に書いても良い。

 

・今日は朝から夕方まで作業できた。主には3月に投稿した論文の修正作業。表記を正したり語尾を統一したりする作業。機械的に推敲していると機械が書いたような文章になってしまうから前後をよく読み直す。

 

・カレンダーを見ると、今日は何も記入されていなかった。「業務の予定」「家族の予定」「研究の予定」「見るべき何か」など、最近はメモ代わりに些細な事柄でもカレンダーに書き入れることが多かったから、何も書かれていない空白は珍しい。4月の終わりの空白。

 

・作業中に音楽を流してみたり、止めてみたり。元々DJ的な感覚が冴えることが少ないが、最近は何を流すことが適切なのか、わからない。今はラジオから流れてきて知った「Ancgorsong」という人の音楽が流れている。夜を待つ時間には少し華やかな音楽を聴きたい。

 

・昨日の夜遅くに自分の研究について考えていて、作家が書くような、いわゆる「ステートメント」のような文章を書いてみたならば、少し見通しが開けるだろうかと考えた。「私は何に興味があり」「何を為そうとしています」というような言語化の作業を避け続けてきた。論文の作業が進み、人が読む可能性のある段階になったならば、researchmapなども整えるべきだろうか。今年度の夏休みの自由研究にしてみようか(先送り)。

 

・今夜はハンバーグを作ってみようと思う。久しぶりに合い挽き肉を買う。

 

・ニュースの言説やタイムラインに流れる言葉に断絶を感じる。思えば自分はいつでも自分が考える「正解」を選択して、他者に問われることがあれば、その「正解」を示す、そういう種類の対話を前提としていた。あるいは「正解」が出せない事柄については「わからない」と態度を保留する。こともまた、ひとつの「正解」のありようと思ってきた。正解がまったくわからない現在において、何を表明することもできない。批判的思考は眠らせたまま、微睡んでいるようでもある。

 

・何事かを表明するにせよ、もう少し状況を見たい。あるいは自分の身体で何かを感じたい。「当事者性」というような意味ではなく、適切な予感を宿す程度に感覚が動いている状態を感じたい。とでもいうか。弁解として。

 

・一年のうちで昼間が長い季節に入った感じがする。空と雲の様子が変わったように感じる。湧き立つような感じが少し漂う。夕暮れはもう初夏。

 

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