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  映像研究

家から見える緑

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・202204252006。今日の作業を区切って書いても良い。

 

・8:00から20:00まで。しかし本当に集中していたのは、その僅かでしかない。むしろ漠とした時間に瞬間的に書ける時間が到来する。なんとかこの時間が持続するようにと思いながら書く。止(と)まる。止(や)める。また無為な時間をやり過ごしながら待つ。その繰り返し。SNSをなるべく見ないことだけはキープする。日記はノー・カウント。誰かの書いた記録を辿ることからふっと書く意識が湧きあがることもあるから(口実)。

 

・「今日は初夏のような陽気でしょう」とラジオに言われて、気分は夏。だが北向きの作業する部屋は思いのほか涼しい。足元のホット・カーペットを「さすがに」と思いながらも点けたり消したりする。

 

・「初夏のような陽気」になぜ家で机に向かって書き続けているのだろう、と何度も思う。郵便ポストを確認する以外は家から出ない。気持ちが焦っているというよりは急いでいることに気づく。タイプミスが多い。今この瞬間に言葉を書いている意識が弱い。あてずっぽうで書いたことの答え合わせをしているような、実感のない作業を続けている。もう少し粘れば切り抜けるだろうか。

 

・ふっと遠くを見る。リビングから見える景色は緑。新緑の鮮やかな緑。この緑が見えることが、この部屋に住み続けている理由だと、家族とは話している。いつからかこの緑の景色があることはあたりまえになったが、時々この景色と緑に救われていると感じることがある。今日はまさにその時だった。書いている文章が〈人間と「自然」との同化〉とか、そんなフレーズだったせいかもしれない。

 

・「見ること」はそのものに「なろうとすること」でもある、とは自分がこの研究に乗り出したきっかけでもあった。あるいは「無色の混沌」か。そう考えれば、今がまさにこの文章を書いている醍醐味なのかもしれない。そう思って明日の自分に任せる。