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  映像研究

2022年の春の中心、その前後

・思い出しながら書いておく春の記録。いつからか季節の中心をイメージするようになり、それを言葉にすることで変化し続ける中に印やリズムを作ることを考えた。2022年の春の中心は4月5日だった。揺れる寒暖の差が閾値を越えたと感じる。まだ身体の芯には冷たさが残っているが、それよりも表面の熱の方が感覚を占めている。

 

・3/30からの記憶が溶けている。どんなに小さな事でも言葉にしておけば良かったと思うが、時には「言葉にすることがままならない」事実が、ある時期の雰囲気を語ることになるかもしれない。春を舐めていた。業務の繁忙期の12月中旬〜2月上旬よりはましだろう寒くもないし、と思っていたが全然マルチタスク、全然気疲れ、コロナ的かつ戦争的な状況の圧力は凄まじいものだった。ものだったと過去形で書いてみる。重層的(重奏的)変化の軋みに突っ込んでいた。

 

・誰もがこのように、ある季節を経験しているのだろうか。それを友人に聴いてみる余裕は、もう少し先になりそう。

 

・4/4には一ヶ月半ぶりにカイロプラクティックに行くことができた。「その後どうですか?」と聞かれたから素直に「緊張しているのだと思います」と答える。骨盤の歪みを指摘される。「力を抜くことが難しい状態です」とも指摘されて、ようやく自分の状態をイメージできた。言葉によって自分の身体が描き出されるように感じる。

 

・3/31には喉に微かな違和感を感じて、これはまずい、この時期の感冒は絶対だめと思って、蜂蜜を舐め、飲酒を止めて、腹八分目、足湯をして寝る。2日くらいの調整で感冒の淵から戻ってくることができた。ファインプレー。

 

・4/2は自分が学生と呼ばれるオリエンテーション。その場所に足を踏み入れて約10年になる。10年前の今日も確かオリエンテーションがあり、しかし自分はそれを欠席して熊本の友人の家へ遊びに行ったのではなかったか。その後警報級の風のためオリエンテーション自体が延期されて結果的に出席できた。記憶ではそのようなことになっているが、10年が経つとそれも本当なのかわからない。いずれにせよ、ある空間に自分と会話をしたことがある人がいない状況は、あれが最後だっただろうか。

 

・2012年を思い出せば、その風景に存在する人たちのシルエットには違いがある。現在のような、いわゆるオーバーサイズは一般的ではなかった。スキニーとサルエルの中間のようなパンツを履いていたかもしれない。

 

・4/2の夜は家の近くの名店で家族と飲食する。山菜の天ぷら、鰆の刺身、めぬけのかま焼き。

 

・4/5は耳鼻科へ行き今年度後半の花粉症の薬を貰う。修理をお願いしていた腕時計の代金を一ヶ月遅れて振り込む。その後職場で新年度の準備。契約会。晴れて暖かい。