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  映像研究

・202006131444。そういえば「2020」と打ち込むことにも慣れた。慣れたら半分が終わっている。職場で同じ空間にいた人が「今年ももう終わりだな」と言ってふと顔を上げた。「今年は春がほとんどなかったから」。「春がなかった」ことと、今年を終わりゆくものとして捉えることで、2020年が実態のない時間として消滅するように感じた。一方で自分は「2020」を、あらゆる活動のネガティブ(陰画、舞台裏)のようなこととして考えているようにも思う。

 

ソーシャル・ネットワーク・サーヴィスについて実践する一年になっている。2月に買ったiPhoneを手にすることが多い。写真を撮り4K動画を撮る。そのような体勢を「何かに強いられている」と考えると息が詰まるが、一方で10代の頃につねにフィルムのコンパクトカメラを持ち歩いていた時には、起きている時間全てが「何か写す対象」を探しているようなところがあった。その感覚をいま別の形で取り戻しているような感じもある。

 

・毎年行っている母校のオープンキャンパスがオンラインで開催されていてそれを視聴している。オンライン特有の親密さが感じられて面白くもある一方で、現在が危機的な状況の一部であることが思い出される。自分の言葉を、誰に、どのように、響かせることが可能か。その実践は続く。発する言葉を研ぐことを忘れないようにしつつ。