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  映像研究

ある華やいだ感じについて

・202112251921。帰宅する京王線で思いつくままに書いてみる。日曜日は関係なく、8日連続の年末の業務の今日は4日目。残りは4日。自分の作業を手放さずに業務を納められるだろうか。

 

・なぜか今年は12月に入って以来、かつての、いつかの、どこかの、誰かとの、年末の華やいだ様々な集まりのことを思い出すことが多かった。大学生の頃は少人数でわいわいとしかしある意味で密やかに過ごすことが通常だったが、二十代のある時期などは、ルームシェアをしている友人宅で、借りていた事務所で、ダイニングバー的なお店で、二階建てのバスで、など、考えつく限りの様々な集まりを計画し、計画され、呼び、呼ばれ、10人規模から100人規模まで、12月のはじめから大晦日まで、何日だか続けて忘年会、というような調子だったことを、一定の年齢を越えた多くの人と同じように、「まるで前世のように」、思い出している。二十代の後半から三十代の前半にかけては、舞台を東京の西側に移して、それでも基本的には同じような、華やいだ感じを求めていた。その感じをはっきりと覚えていながらも、しかし現在はその感じから遠く離れていることがわかる。それを「ライフステージ」と呼ぶのは、正解のようであるがゆえに、あまりにも簡単過ぎる。

 

・あるいはその心理的な変化には、この2年の状況、つまり疫病の流行も関係があるだろうか。いつかこの世界から疫病の不安が消えた時には、またそのような華やいだ感じを求めることもあるのだろうか。考えている。