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  映像研究

昨日と今日、乱反射。

・後から書いておく記録。後から思い出せるように書いている。書けることを書く。書けないことは書けない。

 

・いつかはするのだろうなと想像していたPCR検査を受けて陰性と結果がメールで送られてくる。メールが送られてくるまでの間は気をつけながら車で移動する。このような可能性を抱えながらいまの生活はある。

 

疲労が身体のどの器官・部位に出るかといえば、自分の場合は圧倒的に「目」である。身体の知覚=能力がいつか緩やかに衰えていくならば、視覚には最後まで頑張って貰いたい。と思うがしかし、時が経てばまた違った考えになるだろうか。縁側のある部屋で目を閉じても風で木々が騒めく音を聴くような時間があればそれもまた良いか。そもそも人間の感覚も、五感、などと言うように個別に区切られるわけでもない。ないのだろう。いつか「そうでない」ことを文字の知識ではない自分の身体を場として知る。微細な知を緩やかに実感することができたならば。

 

・涙が目を洗い流し映像は霞み光が滲む。何度も瞬きする。気をつけて運転する。

 

・8月の上旬にカーステレオが直っていて良かった。夜の甲州街道を美しく思わせる音楽がある。一人のドライブを救ってくれたのは去年からずっと、ピチカート・ワンだった。昨日は『前夜』を、今日は『わたくしの二十世紀』を聴いている。人の声が聴こえる車内。甲州街道沿いには微かに自分の20代の生活の記憶がある。生活の記憶を車の速度でなぞる。タイムトンネルのように感じながら。

 

・帰宅して22:15。家族が餃子を包む準備をしてくれていた。「25枚入りだよ」と言われたから微調整しながら、タネ(餡?)を皮で包んでゆく。業務でタイムキープが下手な自分はこのような調整に全部の意識を注ぐ。あと10枚くらいかというところでおやっと思うと皮は、20枚入りだった。「20枚入りでした」と訴えて代替案を考える。「ベランダの紫蘇の葉を皮の代わりにしましょう」と家族の提案を受けて摘みに行く。皮20個と紫蘇の葉5個で合計25個の餃子。

 

・餃子にはビール。互いの職場の報告など聞き話していると24:00を過ぎる。意識を失う。

 

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