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  映像研究

文化と友達

・後から書いておく記録。水曜日は祝日だったがいずれにせよ丸一日デスクで作業を進めるのみなのでカレンダーの日付の色の感覚がない。文化の日。文化とは。しかし家族も仕事に出かけたから本当に「最近のいつもの平日」のような感覚で朝から作業をする。

 

・文章を書く作業が捗らず、膠着と言ってよいほどに動かず、細かい修正を繰り返しているが、大きく見ると全然進んでいない。それでもともかく手を止めないことが大切、こねくり回し続けるとどこかでブレイクスルーがある、と信じて読み書き、書き読み・・・を繰り返すが、いい加減に集中の限界を感じてしまって唸る。友人たちのグループから夜のオンライン・ミーティングの誘いが飛んでくる。その場で絶対に弱音を吐こうと決めてそれまで作業を進める。

 

・お昼ご飯を食べながら動画を流し見る。水曜日のカンパネラ『アリス』『バッキンガム』のMVを見て、あ、いいなと思う。似た感想を持つ人が多そうだけれども、自分はコムアイという人の佇まいや振る舞いに魅力を感じてかつて曲を聴いたり動画を見たりしていた、と自分では思っていたのだけれども、一方で、ケンモチヒデフミさんの作る言葉と音楽の圧倒的な質もその試聴を支えていた、あらためてそのことに気づいた。年齢が近いことにも拠るだろうか。言葉の選択と乗せ方に、意味とは別の膨大な情報が詰まっているように感じられる。

 

・「情報」とは何か。J-POPと呼ばれる音楽を、「このクオリティ」に引き上げる、そのために、J-POPと呼ばれる音楽に、「この歴史的文脈」を埋め込む、そういう企図が感じられる、読み取れる、ということだろうか。情報が満ちていても同時に快楽も共存していることが知的だ。あるいは膨大な情報こそが快楽に繋がる領域を開拓すること。そこにポップスの魅力あえて言えば魔法があるのだろうか。こうしたありようについてはもう少し何事かを考えられるかもしれない。中断して。

 

・オンライン・ミーティングは、22:00くらいから緩やかに開始され、6か所で6人が話す。かつてはこの人たちが普通に東京に生活していて、普通に時々(というかかなり頻繁に)たとえば国立や、西荻窪や、東小金井や、高尾に集まって、食べ、飲み、話していたことを不思議に思う。それはちょうど10年前ということになるだろうか。選挙の結果など意見を交わしつつ、ひょんな流れから番組的なテーマが「友達」あるいは「40歳くらいになっても新たに友達になることはあり得るか」に設定されたから、それぞれが近況とともに、各地の、各場面の、友達事情を語ってくれた。子供を介した人との出会いなど、自分にはとても新鮮。

 

・友人たちの話を聞きながら、自分は「友達」の解釈が緩い、というか、関係性のハードルが低い、あるいは何しろ楽観的、ということを教えられた。自分は、一緒に仕事をする人も、もちろんかつて一緒に仕事をした人も、友人の友人も、インターネットで一瞬コミュニケーションを交わし合う人でさえ、些細な何かを共有しているという意味において、総じて友達、と思っているらしいということに気づいた。その上で、わざわざ会ったりする、親しい友人という人たちも勿論いる、という認識だった。しかしそれは実は、やはり、かなり特殊な考えなのかもしれないことを知る。そういうことを25:00くらいまで話していた。

 

・それは自分の労働の特殊な事情、つまりどのような形であれ、同じ職場に大学時代のアルバイトから約20年勤めている、という物凄く特殊な事情によって生まれた、極めて特殊な考えに拠るのかもしれない。たとえとして、色々な意味で適切かどうか自信がないが、自分は、自分が偶然にも美術を専攻する大学に通っていて、同じように美術を専攻する大学に通っていた人は、「総じて村の出身」という感覚があり、「同じ大学であれば同じ村」「同じ大学の違う学科であれば同じ村の違う集落」、「違う大学であれば隣村」くらいの感覚で、その村人たちが集団就職で集められた、というような認識が定着してしまっている。そしてその人たちは潜在的には全員友達、だが忙しいため現状は互いに連絡待ち、くらいの感覚がある。

 

・最近はその感覚が「美術を専攻する大学」から「人文系の大学」へ、果ては「あらゆる学校」くらいまで拡張しつつある感覚も持っている。幻想だろうか。人と話していて、または人と話した後にひとりで考えていて、もしくはこうして書いていて、自分の(潜在的な)考えに気づく、あるいは出会うということがある。