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  映像研究

暑くもなく寒くもない

・一日中デスクで作業。途中何度も集中が切れて叫び出したくなるけれども基本的に作業。家で作業ができるようになったのはこの一年半の禍に拠る。それまでは「家だと集中できない」を言い訳として近所の中央図書館で9時から8時までを過ごしていた。日常はこのようにして更新される。自宅で(それなりに)集中して作業ができるようになったことは収穫と考える。

 

・16,000字まで書いて「序論」部分の終わりが見えてきた。「序論を9月中」という計画にどうにか滑り込めそうではある。修正はまた随時すれば良い。

 

・大学の同級生から突然FBの申請が送られてきて、普通に会話をする友人ではあったのだが、その「突然の連絡」ということに警戒している自分がいる。「誰かに何か良くないことが起きたのではないか」などと考えてしまうのは年齢にも拠るのか。作業がひと段落したタイミングで承認すると普通に普通の挨拶が送られてきて、自分も普通に挨拶を返す。気づけば20年近く前の色々なことを思い出す。最近大学の頃のことを思い出すことが多いかもしれない。それも「まるで遥かに遠い昔のように」思い出すことが多い。それはまた他の人もそうなのだろうか。いずれにせよ何か不穏な想像をはたらかせたことを少し反省する。

 

・そういえばTwitterは不具合から実質アカウントが消滅してしまったが、それも自分の心理に影響しているのだろうか。当然のことながらSNSが自分の言語や思考に入り込んでいる実感はある。それはまたはてなも例外ではない。それでもTwitterFacebookと違うのは、コミュニケーションではない言語が許される、そうした開放感と言えるだろうか。あるいは言語=コミュニケーションを前提としないことによって、何かのアイディアを発想する余地が生まれる。ドゥルーズ『記号と事件』の「創造はコミュニケーションではない」というテーゼを今でも時々思い出す。あるいは自分の思考の根底にある。

 

・今朝はいつもとは違うゾーンを30分歩いた。山を抜けて尾根のような道を行く。暑くもなく寒くもない。そのことの貴重さをきっと忘れてしまうことも知っている。寒くなるまでにこの心地よさを何度も思いたい。