・ギフトは二つの意味。しかしその二つを安易に結びつけるな。心理を言葉で固定して、また現象を言葉で固定する。いずれも極めて人間中心的であり、且つ両者はまったく別のことであるという事実は、いつでも、いくらでも、強調しすぎるということがない。
・枯れたと思ったオリーブの木が芽吹いた。その驚きの記録。ベランダを片付けるときに、諦めていたら、見ることも、知ることもなかった。芽吹くこともなかったかもしれないことを考えると、恐ろしい。死んだように見えた木は生きている。これまでも何度もそのような木を見た。だからこの驚きは何度も繰り返す驚き。木の生命はどこにあるのだろうかと問うてみても良い。
・日曜日の業務終了後。夕方にかつて学生と教員という関係であった大学生の集まりに一時間半だけ行く。気をつけて烏龍茶とジンジャエール。こういう時間のことをギフトと感じるようになってしまったことについて、一年と少し前に書いていた。このギフトを有り難く受け取ってまた生活する。
・たとえば「じゃあ、また、その本を読み終わった頃に会いましょう」と、考えようによっては、もう二度と会えないフラグのように思える言葉を投げて、わかれる。「有り難い」を文字通りの「有ることが難しいこと」として自覚したならば、それで良い。