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  映像研究

変化

・後から書いておく記録。新しい週。2月を折り返す。数日の自宅での作業と三連休を経て職場へいく月曜日。職場の様子に季節が変化していくことを読み取りながら。

 

・週の後半に予約を取ろうと以前通っていたカイロプラクティックに電話をかけて、一応、ダメもとで、夕方の予定を伺ったところ空いている時間があるとの返答をいただき、帰宅の途中に向かう。「ちょうど2年ぶりですね」と言われて、2年前を思い出す。それはコロナの最初の拡大の時期だった。約一時間の施術。この2年のあいだに自分の身体はどのように変化したのだろうか。身体に触れその反応を確かめれば、目に見えなくて自身には知り得ないことですら知覚できるのだろうか。そのように思いながら家に帰る。

 

・家族が近隣のビストロでパテなどを買ってくれていたために週のはじめから宴のような夕食になる。食後には「チョコテリーヌ」をいただくなど。ギフトまでいただいた。もう少し暖かくなったら首に巻く物。

 

・意識がある時間のすべての能力を文章を書くことに注ぎたいと考える一方で、それがまったくのかなわない理想でしかないことも分かっている。衣料品のことばかり考えているのは、今が季節と年齢の二つの異なる大きさの波が重なる時であるからだと理解している。つまり自らの変化にとって必要である。このように自己を正当化するために物語ることが論理を生み出す。

 

・自宅のある集合住宅の前に立つ梅の木に花が咲くのを待ちながら日々蕾を見ている。もっと一気にばらばらと芽吹くのかと思いきや、溢れる少し手前で、表面張力という感じですべての蕾が張り詰めていく。ああ、このようだったか、と思う。あるいは思い出す。

 

・思い出すのは高尾の平屋の小さな庭の光景だった。山椒の木から小さな芽が生まれることも、たらの木から柔らかい芽が湧き立つことも、自分は高尾に住んでいた4年半のあいだに知ったように思う。京王線高尾駅の冷たいホームの風景も思い出す。