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  映像研究

普通

・あとから書いておく記録。雨の一日。業務の日曜日。一学期の最終日でイベントもあったから数日前から細かい準備をしながら細かい心配をしていた。何度やっても適度に緊張することができる。緊張を貴重と思う。ともあれ同僚チームの力と過去の準備を総動員して乗り切った。しばらく自分の元から姿を消していた「言葉を話す感覚」もこの機会に戻ってきてくれた。「言い当てる」感覚と「感情に届く」感覚の両輪の回転数を微調整しながら発する。

 

・業務終了後には「いつもならばこれから打ち上げなのだけれどもね・・・」と濁しながら職場を出て帰宅途中に今日の出来事の諸々、そして4月からの諸々、さらに数年を振り返りながら話す。自分が若者だった頃に年長の方々に良くして貰ったようなことを、自分が若者ではなくなり若者とチームを組むようになった今、返せているか、という普通のことを考えるようになってしまった。「ご飯ちゃんと食べてる?」とか言うようになってしまった。身近な他者の幸福に安心するようになってしまった。この気持ちは、いつ、どこからやってきたのか。わからない。

 

・明日からしばらく通常業務は休みになりいよいよ自分の作業を進めなければいけない、と、このように書くことだけが慣習になっていないか。それでもほどほどに楽しさを見出しながら、時には飲食店に滑り込み気をつけながらの飲食などしつつ、時を過ごすより他ない。これは普通の7月の日曜日だが、このような一日が、のちに決定的な「点」であるかもしれない、と、そのようにも思いながら一人の京王線

 

・最寄り駅まで家族に車で迎えに来て貰ってしまう。帰宅するとすぐに意識を失う。