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  映像研究

ある日

・何かを書いておかなければ忘れてしまうであろう、あるいは書いたとしても遠く時間が経てばその実感は消えてしまうだろう。そのような一日。今日は火曜日だった。火曜日の記録。今日も基本的には自宅で授業準備と勉強。

 

・写真や映画の歴史を読むこと、考えること、書くこと、伝えることを面白いと思いながら、同時にその難しさを考えている。読もうと思ってリュックに入れていた『映像メディア学 vol.11』の畠山直哉「写真家が物語る写真史・序説」というテキストを電車の中で読みながら、写真史に限られない「大きな物語(の失効)」ということを考える。どんなに些細なことであれ、個人的なコミュニケーションでさえ、過去の時間を系統的に語ることには、何らかの強調や因果が生じる。それを知りながら自分はどのような言葉を構成するのか。

 

・夕方外出。月末だから銀行。一瞬ドトール。職場に行き会議。3時間くらいかかるかと思ったが1時間で終了。

 

・必要だった図録と車用のオーディオをオークションで落札する。これによって車の中でラジオや音楽を聴く環境を取り戻すことができるのか。

 

・夕食後に小沢健二の配信を視聴する。結局この数回すべてを視聴した。映像から夜の表参道の雰囲気が伝わる。Pii『カキツバタ』という曲のカバーが良かった。

 

・「表現」ということについて考える。生きていて様々に感じて、それを他者に感覚可能な何かとして現すことについて、その不思議と崇高さのようなことを考えることが多い。感じやすい心を持ちながら(つねに自身が組み替えられるほどの)、感じたことを表現に転ずること(捉え直し/言葉や音や色や形により/何らかの構成をする)、その往復が精神の力なのだというようなことを最近よく考える。自分の回りにはそのような意味での「表現」を体現しているように思える人が多く、敬意を含めた畏れを持って接している。

 

・そのような思いにとらわれながら、夏らしい室内着でできるかぎり力を抜いて眠る。