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  映像研究

恵比寿、100年、ジャンパー

・202010131823。恵比寿ガーデンプレイスエクセルシオールで紅茶を飲みながら日記を書いても良い。写真美術館の図書室で10:00-17:30まで100年前に発行された雑誌のコピーを取る箇所に紙を挟みまくる一日が終わった。お願いしたコピーを待つ時間には読書をしたり日記を書いたりあるいは業務の雑務を片付けたりあわよくば展示を見たりもしかすると映画を観たりできるかなと思っていたが、そんなことはあり得なかった。コピーを取る箇所を探すことに全精力を注ぐしかなかった。そしてこの時間までコピーを仕分けてチェックをしている。考えてみればそれは当然のことだった。

 

・こうした日を今年の間にあと何回設けることができるのだろうか。福原信三やその周辺についてのサーベイは日毎に面白くなっているが、問題の核はまだぼんやりとしている。ある程度は書きながら輪郭が現れるようなところもあるが、もう少しだけ明らかにしたい。「写真を撮影する行為と『自然』あるいは『精神』のあいだ」にどのような距離を設定すべきなのか。あるいはそれをどの程度、写真家固有の問題として/時代や環境の問題として、考えるべきか。かなり切実に「1920年の東京に行けたなら、」と思う。「なぜ100年前の空気に包まれることができないのか?」と変なことばかりを考えている。同時に自分は彼らが決して見ることのない風景を見てもいるのだということも考える。

 

・夏の終わりのアウトレットモールで70%オフという情報に惑わされて完全に衝動的に購入したFUMITO GANRYUというブランドのシャリシャリしたジャンパーを初めて着てみる。2020年はもう80日残っていない。