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  映像研究

ある日

・あとから書いておく記録。3日ぶりの業務。3日空くと色々と細々とすべきことが発生しているからもぐらたたきのように(という形容詞的な表現があったか)ぽこぽこと、ぽちぽちと、たんたんと、片づけていく。そのすべては片づかないが、それでもなんとか、平和な春を迎えるために、できることを、できるときに、進める精神。

 

・最寄駅の書店に吸い込まれて雑誌コーナーを一回りしたのち、GINZAを購入。全然ファッションらしくないが、POPEYEと対になる雑誌としてはそれも良いのか。そういえば少し前に話した友人が「洋服はトップスの売れ行きが良いらしい」と話していて、なるほどと思うが、現在において洋服を購入するということは、コロナ以前とは確かに何かが違うと思う。マスク無しが完成形ではないということの不思議さ。その不思議さに慣れていく少しの違和感。都市生活に固有の意識が顕在化するのか。

 

・帰宅して二日連続でそら豆。今日はかるくあえておつまみにする。Instagramで高橋恭司という人が話していて聞きながら食べる。少し前にもトークされていたが、このように「写真とは何か」という話を、家に居ながらにして、夕食など食べながら、聴くことができるということは、一方ではありがたい(有り難い)ことでもある。ゆくゆくはこのような小規模のトークイベントの場が、Clubhouseに移り変わっていくこともあるのか。それはともかく、話される内容を聴きながら、自分の研究における「写真」の前提について、考え直していた。

 

・存在しているものを、存在として、うつす(写す・移す)ところに惹かれている。あるものの存在がいつも先にある。あるいはあるものが存在することと自分がともにあることが先にある。カメラは、あるものの存在と自分の間にある。あるいは横にある。中断。