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  映像研究

2021年2月の祝日に思い出す

・あとから書いておく記録。午前中は少し家で作業したのちに友人とオンラインで少し話す。近況報告と今後の勉強会の計画など。当然のことなのだけれども、一人で学ぶことも大切であると同時に、他者と話をすることも大切だということを思い出す。本来は色々な種類の会話があり得る。確かいつかの日記に書いた記憶があるけれども、普段の業務の時間に行っている発話の多くは「講評」つまり何かを見たり読んだりして、それに「対して」コメントをすることだから、業務が途切れたならば、そのような、何かに「対して」コメントすることから一度冷静になって、別の言語活動を再起動させる。

 

・そして見ることも。何かを展示空間で見たいと思って、家から遠くない多摩センターの多摩美の美術館で開催されていた「多摩美の版画、50年」を見に行く。版画を専門としている家族とともに行くことで、わからないことを教えてもらえることも楽しい。版画を絵画と写真の中間に位置づける、という発想は面白いと思った。写真は撮影も現像も露光という意味で短い時間であるし、プリントの場面においても像をレイヤーとして意識することはあまりない。版画は具体的な対象をレイヤーとして再構成することもあり得るし、色という全く現実の空間とは異なる原理でレイヤー化されることもあり得る。機械化された絵画とも捉えられるし、人間化された写真とも見ることができる。制作されるプロセスにも別の時間があるのか。

 

トークイベントも公開レクチャーもオンラインで聴くことはできるが、実際に場所に行き、経験することは重要だと、当たり前のことを思い出す。

 

・荷物の配達を19:00~21:00でお願いしていたのに対して、19:05に帰宅してしまったら、配達の方が自宅の前で待って(?)おられたので、感謝/恐縮しつつ受け取る。中身は某オークションで購入した黄色のヨットパーカー。春らしい装いのために。