&

  映像研究

普段の自分はこのようなことはしない

・202011191423。職場に行く時間を少し遅らせて近くのエクセルシオール・コーヒーで時間を過ごすことは許されている。数日の間色々なことを考えてぼんやりとする。きっかけのひとつは日曜日の夜に届いた友人からの連絡だろうか。自分の数年間のことや友人たちの生活のことを思う。年齢を問わず食べたり飲んだり話したりする友人がいることは幸せだが、一方で年が近いもしくはほぼ同じ年齢の友人と継続して時間を過ごすことは、もう一歩深く互いのストーリーにくい込んでいるという感じがする。そういう人たちの期待に応えるようにして、同時に赦しを得ているような感覚とともに、過ごしてきた時間がある。そしてその先端に存在していることを思う。どのように振り返れば良いのかもわからない2020年の終わりの始まりに。

 

・昨日の夜、ビールの缶を手から滑り落としコップを割ってしまった。普段の自分はこのようなことはしない。しないと思っているが、そう思っている自分とは何か。大きな音がして砕けたガラスを拾っている時に、申し訳なさと怒りが沸き立つ。無いに越したことはない出来事だが、その出来事から何かを知ったようにも思う。身体のこわばりのようなもの。そして大きな音と砕ける物によって身体にまた別の緊張が上書きされる。仕方がない。数日の間、アクリルの板あるいはビニールのカーテン越しに声を投げるが、聞き取られず聞き返されるという出来事がいくつか生じた。これもまた同じ=別の出来事だ。「多分聞き取られないのだろうな」と思って声を出している。この状態は何か。

 

・数日前にアップロードした写真に映るコップが割れてしまった。偶然のポートレート

 

・歯医者で治療後に麻酔が効きすぎていて、仕事もランチも違うと思ったから、久しぶりにブックファーストで好きなだけ本を見る時間。本を手に取り捲る。文字通りの「手当たり次第」。

 

・秋だとばかり思っていたが冬かもしれなかった。しかし気温は高い。ペラペラの上着を脱いでシャツの袖を捲る。しかしもうこのような気候はしばらくないのだろう。寒くなる予感はある。

 

・本屋で見つけたリラックスを購入する。小西康晴という人のインタビューを興味深く読む。2020年に一番聴いたアルバムは、ピチカート・ワンの『前夜』だった。「老後の準備」の話題は自分には想像しづらいが、残された時間の中でどのような仕事をすべきか、ということは少しだけ考えるかもしれない。朝コーヒーを飲みながらリラックスをパラパラしてダイニングに置く。リラックスの背表紙には「誰かをフォローするために生まれてきたんじゃないよ。」と書かれている。こういう少し照れが入りながらのストレートなメッセージに引かれてしまう自分がいる。フォローとは何か。何かに憧れる気持ちが「自由になること」へ向かう手がかりになれば良いと思う。

 

・読む/書くことを昨日から少し始めてみた。始めてみたもののどうにも心許ない。予感はあるが「わからない」。その「わからなさ」が自分の声を細くしているのか。しかし、まずは、自分にとっての結論を決めて、その結論の証拠となるように、文章を読むことをやめた。その読み方は「もう後がない」という気持ちに拠るものだが、その読み方から抜け出さないと、そもそも先がない。平坦な文を平坦なまま読み、整理するために書かれた文章を読み図解してみる。どこに飛躍があるだろうか。どう接続しているだろうかと読む。11月はしばらく続けてみる。

 

・中断。

 

 

f:id:MRTR:20201119141832j:image