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  映像研究

3つの石(旅行の記録)

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・8月22日から25日までの3泊4日の旅行の記録。最大で大人9人と子供2人による特別な時間と空間が開いて閉じた。このような旅行は2019年春の熊本以来約3年半ぶり。天国のような情景を想像しながら数ヶ月を過ごして、現実は想像とは全然違う出来事を次々に見せる。その全てが美しかった。全然どうしようもない事、たとえば車の道間違い、料理の失敗、フィルムの感光(これは出来れば避けたい)、寝坊でさえも掛け替えがない。

 

・どこに行き、何を体験するかも大切だけれども、誰と一緒であるかということが、別の次元で最も重要だと分かった。あるいは思い出した。かつて山に登っていた頃の「パーティー」と同じこと。行ける/行けない、は殆ど偶然の様々な事情が作用する。だから出来ることは、一緒に行くことができた人たちで、出来る限り望ましい時空間を創造すること。友人とともにいる感じを思い出すことできた。

 

・友人の息子(小3)は、展望台までの短い山道を歩きながら「くだるまでに『良い石』を3つ拾ってそれを競おう」と提案した。大人たちは皆その提案を解釈して足元に目を送りながら下山する。思わず転倒する者もいる(自分)。駐車場でぱっと手を開いて3つの石を見せ合う。「うーんそうきたか」などと言いながら。この出来事の美しさを説明することもできるのかもしれないが、3つの石とともに、この気持ちはそっと部屋に置いておきたい。

 

・19歳になる年に通っていた予備校(一浪)では、「こんなに優秀で冴えた人たちがいるならば自分はもう作品と呼ばれる何かをつくるべきではないのでは」と思った。そう思った要因である人たちとはその後数年をかけて友人になった。そうして今もまだ友人であり、ともに過ごしている不思議。それらの友人やその後知り合った人たちからいつでも多くを受け取っている。人類学的には贈与=負債ということか。それに対して「全然返せていない」という気持ちが、自分をこの生活に繋ぎ止めている。大袈裟だけれども嘘ではない。

 

・別のタームに移行しつつある、という予感が膨らんだ。それは自分が望みあるいは受け止めるものであるだろうか。向こうからやってくるようでもあり飛び込んでいくようでもある。いずれにせよ完全な計画の実行の外に在る物事。外に在る物事を巻き込んでいく動き。