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  映像研究

全部入り

・202010041906。帰宅する京王線を笹塚で京王線準特急に乗り換えながら日記を書いても良い。昨夜のパン祭りから久しぶりに早起きして朝からの業務。今日も10時間が光の速度で消えた。まだ一緒に働いて半年の同僚に「今日の一日はこの業務に関わる仕事が全部入りだったかもしれない」と話す。文章、映像、あるいは写真のシリーズにはそれぞれの時間軸があり、誰かが制作したその時間軸に介入することは常に難しい。一つの言葉を、カットを、イメージを選択することには無数の判断がひしめいている。その判断に介入することは常に難しくも面白い。その介入の思考を他でもない自分の文章に、映像に、写真のシリーズに、向けることができるのならば。それができて初めて業務が自分の修行でもあるような状況が作れる。

 

・行きの電車の中で自分の論文の導入となるような断片をLINEにメモしてみる。写真を撮影することとは何か。そのようなぼんやりした問いを何度も繰り返しながら、円を描く運動が少しずつその中心を移動させるように、変化してきた。ボードリヤールと福原信三を出会わせて、撮影行為における、「対象」という問題、それから「場所」という問題について考えを進めたい。そして写真=カメラを手にすることでしか辿り着けない地点から出発して、最終的には、カメラを手にしなくてもよいような人のありよう、つまり見ること自体の問いに流れつけば良い。