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  映像研究

見ることととそのものになろうとすること

 写真が依存するのは光である。光は自然の姿の反映であり、自然と精神、すなわち主観と客観の合一境が実在なのであるから、光は精神と合致して自己を完成し、精神は光によって本然の姿に帰り、かくして結果として表現せられた写真は、芸術のパスポートゥを所有するに至るのである。

 しかしながら、このパスポートゥは芸術および芸術家のみが所有するものではなく、総ての人間が所有し得るものである。ようやく視力が出てきた赤ん坊であっても、赤い色を見れば、赤という概念はないであろうが、赤という色それ自身になりきってしまう。長じて玩具と遊ぶようになれば、玩具それ自身になって、自分と玩具の区別さえつけようとしない。人形を生きたものとして見るのではなく、自分が人形と同一になってしまう。こうして人間はこのパスポートゥによって芸術の世界に入り、それを理解する事ができるのである。

福原信三「写真の新使命 承前」『写真芸術 1923年8・9月号』