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  映像研究

ちゃんと秋

・202009302151。帰宅するために電車を待つ初台駅のホームで日記を書いてもいい。気がつけば9月が終わる。繰り返すことのない2020年の9月は猛暑の残像とともに開かれ、しかしふと自分の服と寝るときの体勢と空の高さを見れば、ちゃんと秋。肌寒さの中で呼吸している。夏が終わるのが寂しいという気持ちは10代の時分からずっと今でもあるけれども、おそらくは20代の後半以降はそれにも増して秋が過ぎるのが寂しい、悲しい、勿体ない、という気持ちに溢れていて、人はこのようにして、あらゆる変化に無常を感じる老人に近づくのだろうか。それはそれで結構良い気もしている。

 

・昨日は友人とのオンライン勉強会が気づけば12回目になっていた。昨日から新たなテキストを読み始める。写真について考えることを聞きあい、またそれを言語化する上での言葉を吟味することを協力できることは本当に文字通りの意味で有り難い。なおかつ昨日は後半は実技レクチャーとして、フィルムスキャンしたデータをどのようなソフトでどのように処理すると、自分のイメージしている写真が得られるのかを教えて貰う。歴史や理論や概念化とともに、具体的な現代の制作の方法に触れていることは大切だとあらためて思う。定期的に触ろう。Lightroom

 

・今月の勤怠を入力していて、年間の出講数的には既に少し働きすぎという結果が出たこともあり、10月と11月はいかにして、時間的にも精神的にも労働を免れつつ、来るべき2021年と2022年を迎えられるのか、その準備を進めることを決めた。

 

・写真のイメージの中で去年の冬と再会する。

 

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