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  映像研究

新しく

・202009141811。涼しくなってきた。昨夜はアンダーグラウンドなオンライン飲み会を8時間近く。眠って起きて正気を取り戻し業務の連絡などしつつ辛うじて昨日届いた本の読むべき箇所を読み今。どうすれば心身ともに健康でいられるのだろうか。何度でも新しく生きる。そのためにはできるだけ正直でいなければいけない。有限な能力を使うべきところに使わなければいけない。いつでも「準備」と言ってきてしかし、アウトプットが必要な時期に差しかかりつつある。そのことを感じたならば2020年の終わりが既にうっすら見えてきた。

 

・写真を見ることと見たことを言葉にすることから始める。撮影者の身体のありようを想像する。撮影者がどのような場所でどのような環境にいるのか。何を感じ何に向けてカメラを開くのか。想像してみる。イメージするのは身体の前に広がるあるいは身体を包む大気。レンズの焦点が捉えた距離に物がはっきりと現れるが物自体を捕まえている感じとも違う。目と物の間に空間があることを掴みだそうとするような写真があるのではないか。風景というよりは光景というほうがしっくりくる。

 

・そうした写真のイメージは生きていくために必要とされる。生きていくために必要とする人がいるだろうか。物があってその物をはっきりと見せながらもむしろその物を見せることに目的があるのではなく、見る自分と見つめられた場所の間に空間が生まれていることを確認するようなイメージがなくては意識の何かが壊れてしまうように思うのはなぜか。情報ではないイメージ。絵も写真も何かを伝えることとは異なる原理で生まれるイメージがある。なおかつ写真に固有の存在の仕方がある。

 

・そうした写真を撮ることをしたい。自分を助ける写真が撮られるべきと思う。中断。

 

・夜に。ふと思い立って最近現像したGW 690Ⅲで撮影した写真をInstagramにアップロードしてみる。自分が撮影した写真から感じた宙に浮かぶような雰囲気がタイムラインに置かれたならばまた少し違う感じに思える。これも実験。

 

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