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  映像研究

オン・ライン

・202004141205。午前中に所属している大学のオンラインガイダンス。初めての30人規模でのzoom使用のせいもあり背景などに気を使い変な緊張をする。「オンラインで何ができるか」という問題に直面している人の言葉は、それがいかに模索の途中であっても、やはり心強く感じた。今日はこのあと友人と少し電話で情報交換の予定。夕方にはやはりオンラインでオンラインミーティングの準備など。引き続き「家にいる」ことを「作業の時間」に転ずることが今週の(困難な)課題。普段自宅を作業場にしている人への尊敬しかない。

 

・もうしばらく写真を撮っていないことに気づく。最後に写真を撮ったのはいつだろうか。iPhoneでのメモのような撮影はするが、三脚を立ててGW690Ⅲを構える撮影は一ヶ月以上していないのではないか。4日に車で千葉方面に行く際に積んでみたが、まったく撮影する気持ちにならなかった。このことは意識しないところでの自分の精神の変化を示しているかもしれない。「世界に対する肯定」という言葉が浮かぶ。自分が写真を撮る動機には「目の前の対象や場所をよろこぶ」気持ちがあったように思う。いま木も土もほとんどが数ヶ月前と変わらないにも関わらず、そのような気持ちが持てないことについて考える。晴れた日の気持ちの良い空気に対してさえもどこか怯えを感じているのならば、それは自分が「屋外=ウィルス」という(ある意味で誤ったと言って良い)図式に捕らえられていることを意味するのか。今朝郵便ポストを確認するために一瞬出た玄関先は光り輝いていた。その輝きには救いがある。その救いは記録することができるか。

 

・このような状態での、環境での「見ること」とは何か。zoomの画面を通じて見る30の顔も、光り輝く玄関も、かつて自分が撮影した写真を見返すことも、自分が映像について考えることを再開するための手がかりになるだろうか。中断。