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  映像研究

午後の光

・202108221931。今日の作業を閉じてしまおうかとして書く。目紛しい数日を越えて朝。大きな出来事の後にふと風景の見え方が全然変わってしまったように感じることがある。今朝少しそういう感じがあった。季節の変わり目も理由だろうか。この感じを覚えておきたい。

 

・午前から在宅業務。行ってしまっても良かったのだけれども、日曜だし、色々あったし、これからも色々あるだろうから、在宅の遠隔で出来る限り出来ることをする。すると如何に自分が普段対面してちょっとした発話のニュアンスや表情(今は主に目)の表し方によってコミュニケーションをはかりそれが業務を進める力になっていることに気づく。

 

・あらゆるテキストに自分のそのニュアンスが滲んでしまう。「、」「。。」「...」「・・・」「、。」を打ち、消す。消して、打つ。消して、電話する。などしていると16:00だった。

 

・論文執筆の計画を書いたカレンダーには大きく×の印。「ぐったり」と「休」と書いてある。予定は変わる。生きていれば必ず。

 

・いくつかの連絡をしてしまって買い物へ。途中そういえばと思ってロードサイドのオートバックスシガーソケットから電源を取る器具を探す。電源のコンセントを挿すイメージだったがそのような物は一つも売っていなかった。車内グッズのイメージは2010年くらいのドンキホーテで止まっている。

 

・他のどの季節とも同じように、夏の終わりの午後にしかない光がある。

 

・少し離れた街へ車で。珈琲豆。パン。誕生日に実家から送られてきたビール券でビール。

 

・車に積んだGW690Ⅲで恐らくは数ヶ月ぶりに写真を撮った。何を撮りたいということはなく、シャッターボタンを押すこと。どうしてもその行為が必要だった。家の駐車場で。空に向けて。雲が見える。雲を写したのではない。では何を写したのか。夕方。光が残る大気だろうか。

 

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