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  映像研究

ノーマル

・202006030915。自宅のデスク。ニュー・ノーマル、と言ってみて、何がわかるだろうか。

 

・週末から怒涛の業務が予想されるから、今週前半は自分の作業をしようと決めた。昨日は数ヶ月滞っていた案件をメール。「少しずつは進めていたのですが」「その少しの時間を捻出するのが意外に大変で」とか言いたいが、言い訳がましいだろうか。コロナ禍を言い訳にしているようで嫌だ。しかし確かにそれが原因ではあることも事実である。しかしそもそも何かが滞ることの「原因」など確定できるのだろうか。何をどこから説明し釈明すれば穏やかに受け取ってもらえるのだろう。いっそ平謝りが早いのか。などと考えているとメールを送るタイミングを逃す。伝わらない前提で送る。何か疑問があればまた山羊のようにメールが送られてくるのだろうと、投げるような気持ちで送信。ひとつ終わる。

 

・業務の会議もあり主たる議題は夏に向けた戦略。業務であるからには「戦略」を考えねばならぬ。しかし「戦略」などという言葉を使うことはどうなのか。と考えないこともないが、では「作戦」ならいいのか。いずれにせよ「戦」はある。何と戦っているのだろうか。多くの場合(一度自分から離れて)それは「同業他社」ということになり、昨日か一昨日も同じようなことを書いたが、どんなにニッチな業界でも「同業他社」あるいは「業界最大手」はあり、その動向が気になる。これは自分の居酒屋トークの定番(滑らない何とかというものだろうか)なのだけれども、自分の場合、偶然にも(?)その「同業他社=業界最大手」で、数十年前自分の父親が働いていたことがあり、自分のいわゆる「ミルク代」は、その「同業他社=業界最大手」から支払われていたという事実がある。この話のオチは、この関係にオイディプス的な何かを見出して、そもそもこの生活の一切が、自分の父親殺しの妄想なのではないか、というふうに展開するのだけれども、いよいよもってその「同業他社=業界最大手」のことを毎日考えている。因果。それは原因も結果もない。

 

・そのこととは別に/そのこととも関連して、時々自分のことを「二代目」と考えてみることがある。職人でも自営業でもない自分をそう位置付けてみることで、自分の何が親から引き継がれているのだろうかと考えてみることができる。あるいは少し自虐的に「遺産食いつぶし系」と考えてみることもある。逆に「食いつぶす」こと以外に何ができるだろうかと考えてみることもある。ごく時々考える。

 

・昨日の夜は近所の名店で家族と夕食。外食は二ヶ月以上していなかった。定額給付金の使い道の前倒しと言ってみて、それもほぼ言い訳で、自宅の台所以外から作り出される料理を食べたかった。色々なことに気をつけながら。Instagramを開いたならば黒い画面が並ぶ。帰りに郵便ポストに定額給付金の申請書類を投函する。非オンライン。