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  映像研究

動き出す

・202006020944。昨日は結局家で英文を訳す作業。フランス語にも増して英語の文章を読むことの基礎が脆いので何度も同じような箇所で辞書を引く。足踏みと前進の中間。しかしその動きが停止していないだけましかもしれない。という考えに基づくペースでは遅いのか。

 

・一方で業務の方は6月1日を境にして一気に動き出す。作業の合間に飛び交う業務連絡。ニッチな業界ではあるけれども、横に並んだ各社(?)の言葉遣いとその言葉遣いから漏れ出る姿勢や構想から何かを受け取って、わたくしどもも公共に向けてメッセージを発する。そのメッセージは端的に広告だが、広告の言葉から完全に自由ではいられないと考える程度にこの数年で自分の考えも変化したのだろうか。しかし同時に日記のような言葉を書くことは、そうした「広告」「メッセージ」「言葉」「権力」を確かめるようにして、別の言葉の表現を探ることでもある。小さな闘争。

 

・そのような言葉と権力のことを思ったのは、またも同僚が共有してくれた斎藤環という人のnoteで、全面的に納得するとかではないにしろ「人は人と出会うべきなのか」という、問いかける形式の題名から、自分ならば(寺子屋的な)小さな教室のことを思う。「集まり」「出会い」「交わす」その動詞の部分を、いかに恐れられずに操作するか、つまりデザインするかということを結果的に実践してきたのかもしれない。いまのこの状況において「オンライン教育」という領域は広大な未開の地のようにも思える。

 

note.com

 

・その謎の高揚と新しい思考と降りかかってくる業務は、また自分の研究にも折り返される。といいなと思う。願う。自分の声と顔と何かが、映像を通じて、他者にどのように響くのか。それはyoutuberに代表されるようなこの10年の「新しい仕事と環境」の問題とも言える。その環境/業界に参戦するつもりなど毛頭ないが、この状況において「これまでの仕事を継続すること」が、そのままそうした「新しい仕事と環境」に流れ込むこともまた事実ではある。

 

宇多田ヒカルHEART STATION』から干支が一周回っている事実。勉強あるいは研究を各方面で継続する。

 


宇多田ヒカル - HEART STATION