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  映像研究

何もしない何もできない

・202005021830。辛うじて昼に一本オンライン会議を乗りこなしただけで、本当に、ちょっとどうなのかというくらい、何も手につかなかった。書くのも憚られる今日は基本的に内省の一日。昨日までの、ネットワークに張りつき、業務の様々な人の顔を思い浮かべながら、微妙な心理を想像しながら、笹舟のような言葉を流し続ける業務の、自覚なき疲労が一気に襲ってきたのか。他者の些細な言葉遣いを「すべてのことはメッセージ」と思ってしまうのもどうなのか。関係を信じることは過去を信じることであると考えた。宇多田ヒカルが言うところのファイナル・ディスタンス(ソーシャル・ディスタンスではなく)。インターネットで何ということもない記事を摘み読むことで日が暮れた。

 

・こんまりの動画を見ていたら、その発話の引力に完全に説得されそうになってやばい。

 

・去年の10連休の端的な日記を引き出してみると、あまりにも幸福な時間の記録が圧縮されていて、ただ眩しい。「業務の会議と打ち上げを兼ねた飲食」という文字に宿った、ある雰囲気がある。「実家の家族と犬を連れて近所を散歩」という文字を読むことで引き出される記憶がある。改元の影響か光景は微妙に滲んで記憶されている。その時と同じ光が射しているにも関わらず、全く別の世界に生きている。同じ世界の違う条件に生きていると言った方が正確か。世界の困難に飲まれないように逃げ切れると思っていたけれどもそれほど単純ではないし自分はハイパーでもない。家族も友人もそして自己とも「病めるときも健やかなときも」というゆったりした心持ちで付き合い、また構えるべきとあらためて思う。

 

J-WAVEでよく聴いていつもこの曲調べようと思いながらも忘れることを4回くらい繰り返したのは、ドージャ・キャットの、Say Soという曲だった。MVの印象が想像していた世界観と真反対で笑った(音だけ聴いて90年代でいうところのカーディガンズみたいなのだと思ってた)。

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・備忘録。elgatoの「CAM LINK 4K」実売16,000円くらいだった商品をAmazonで28,000円で購入。この見た目USBメモリのような小さな装置を介して4KカメラあるいはHDカメラをHDMIケーブルでmacbookに繋げると、世にも美しいwebカメラになるのか。世界の教育関係者はこの4月の一ヶ月に全員youtuber、ゲーム実況者、などに学んでいる。そうした中で自分は、iPhone11もそうだが、2020年に一度アップデートできるものは一度すべてアップデートしておこうと思ってしまった。そうなると次は4Kカメラで、半年ぶりにsonyのα7R的なものの購入を再検討し始めたが、同僚に軽く相談したところやんわりと止められて、その冷静さ大事と思う。自分は行動原理の8割が「せっかくだから」だが(約15年前に職場の後輩かつ友人の妹に「『せっかくだから』が身を滅ぼす」という即席の慣用句を贈られたことがある)、コロナ=せっかく、という図式は無理筋ということか。とはいえ熟考の末に「せっかくだから」買うかもしれない。