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  映像研究

満月

・202005082206。4月の心持ちとは明らかに違う季節が来たと感じる。春の肌寒さから初夏の乾燥へ。この時期いかにもな歩いたり走ったりをしないで来たがさすがに運動が必要という実感。大気と身体が切り離されているように感じている。今日も一日業務に関わる連絡の合間に、荒川徹『ドナルド・ジャッド 風景とミニマリズム』など読んでいたら一日が終わる。このまま自分の作業に取りかかれずに貴重な5月が過ぎ去ることは避けたい。避けたいのだが、やること&やるべきことがこまごまと星のように生まれてどうにも集中が難しい。各種荷物が届く一日。ヴェリタスブロイ。ウィルキンソン。ベルクに家族が注文していたセットが届いて嬉しい。そういえば10年前にはベルクのモーニングプレートを食べることが日常だった。かつての日々を想起して意識されぬ日常を考える。自分の癖としてポップミュージックに耳が馴染むと同じ曲だけを飽きるまでリピートしてしまうからプレイリストの再生数上位曲は結果的にある季節の記憶をタイムカプセルのように保存している。

 

・夜家族を迎えに車でいつもと違う道を走る。多摩川沿いの道に満月が見えて別の時間と別の場所に飛ばされたように感じる。帰宅してなぜか季節から自由な湯豆腐。夜は寒いから鍋を炊く5月。強い月の光がベランダのオリーブの葉に反射している。35年来の友人からメールの返信が来た。小沢健二を見てみようとワンセグでミュージック・ステーションを視聴。この状況で好んで斜めに見たいわけでは決してないが独特の雰囲気が醸されていて結構つらかった。全員同じことを言っている。感謝。祈り。鼓舞。手洗い。ひとりひとりはそれぞれなのかもしれないけれども。毎朝車で聴くJ-WAVEもそろそろ苦しくなってきた。普通のテンションの人が普通に話している声が聴きたい。というこれは業務その他における自戒をこめて。「こんなときだからこそがんばっていっしょにのりこえていきましょう」とかが定形文化するとまずい。なお小沢健二は普通で良かった。普通に問いを投げている。思ってないことが口から流れはじめることに敏感でありたい。言葉が死にかける。死んだ言葉を纏った者の話を誰が真剣に聴くというのか。だからどうすれば生きた言葉を発することができるのか考えたい。死にかけの言葉から適切なディスタンスを保ちつつ。