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  映像研究

まだまだ修行が足りないと

・202006182139。帰宅する電車のシートに座ってみる。座ってみることは久しぶりなので、そのことですっかり状況に安心している自分に気がつく。誰もが「緩み」と言うだろう。「緩み」と「飽き」は別のカテゴリだが、似ている。自分は色々なことに対して継続あるいは持続ということを大切だと思っているが、それは継続あるいは持続ということを大切にしたい願望であり、実際はあっさりと飽きる。しかしでは「持続」と「飽き」が完全に矛盾するかと言えば、そうとも言い切れず「飽きつつの持続」のようなことはあり、しかもそれは「惰性」のようなこととは全く別のことに思える。中断。

 

・「まだまだ修行が足りない」という話だった。業務において面談をしていると、それがなおかつソーシャル・ディスタンスを保ちながらの面談であることも関係しているのだろうか、全然うまく話ができない(聞くことができない)日があり、黙ってしまう。つねに目の前の人に対して、言葉を話す力を集中させることは難しい。ディスタンス込みの、新しい日常における、他者との適切な距離を探らなければいけないと気づいたことが今日の学びだということにしてみる。中断。

 

・機材を購入している。プロジェクター。オーディオインターフェース。マイク。ケーブル。Webカメラ。もはや何が自分のための物で、何が業務のための物なのかわからない。中断。