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  映像研究

新しい朝

・201909201047。自宅にて作業。業務の細かな作業に攻め込まれる初秋。ひとつひとつの事柄は些細であっても(書類作成、メールでの連絡、資料準備、書類確認、その間に撮影と編集、会議と会議の準備、そして授業準備、授業、面談・・・)それらが複雑に入り組むとなかなか手強い。昨日の夜は一度それらを整理すべく作業から離れてみた。離れたならば優秀なチームの人たちが並行して別の何事かを進めてくれる。チームの有り難さ。しかし一度離れてみても減るわけではない。そしてチームの人に頼り続けるわけにもいかない。一方で「この状況はまだまだましな方だ」とも思う。自分のことを辛うじて手放さずにできている。

 

・自分のこととは何か。引き続き『消滅の技法』を読みながらノートを作る。その合間には語学。時々自分の研究に関係がありそうな読書。業務に攻め込まれることによって(そういう理由にしている)後期に受講しようと考えていた語学の講座の締め切りを忘れてしまっていたことに呆然とする朝。しかし何とか気を取り直して、こういう出来事も(こそを)日記にしておこうと思った。

 

・そうしている間に写真が郵送される。現像とプリントをお願いしているラボAスタジオから届いたのは、7月から9月までの2ヶ月の間にGW690で撮った7本分の写真。メールで「撮影が安定してきましたね」と講評を受けて、実際に写真を見てみてなるほどと思う。VCメーターで半分くらいオーバーにするとちょうど良いのだとということがわかった。しかし写真を見ると、記念写真はそれはそれとして、それ以外の、場所や物を写した写真については全然「映っていない」と思う。この「映っていない」という感じをどうしたら良いのだろうか。引き伸ばすとまた何か違った印象を持つことができるのかもしれない。あるいはデータにして細部を見てみたならば。考えながら片付けて業務へ。