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  映像研究

カメラをうまくはたらかせること

・201909250016。日付をまたいで。連休をいくつか含めて慌ただしく時間がすぎていく。台風もすぎた。記録したい出来事も、メモしたい言葉も、見せておきたい景色(イルリメ)もあるが、そのどれもままならない。複数の事柄を手放さず、かつその事柄のどれもにしっかりと意識をはたらかせながら生活することは極めて難しい。難しいということだけをひとまず記しておこうと思ったのは、最近いくつかのブログを読みながら、あからさまな広告でもなく、自分を痛めつけるためでもなく、日々のエピソードを書いておくことは面白く、かつどこかでそれを偶然他者が読むこともまた善いことなのではないかと考えたからだ。そのために何かを書く。

 

・明日から(正確には今日から)フランス語の授業が再開される。週に一日の授業はリズムを与えてくれる。進めば進むほどに自習が必要になってくるのはそういうものなのだと思いつつも、全然「ある段階」を越える感覚がない。毎日少しずつでも勉強することが必要なのだと思う。当たり前のことを書いている。

 

・久しぶりに神保町を歩き、ふと入った古書店で約一年探していた雑誌WERKの2003年の号を発見して即購入する。某別の古書店の1/3程度の値段で買うことができた。やはり何事にもタイミングがある。清野賀子の撮影した2003年の東京の写真を見る。自分が知る限りこれが「至るところで 心を集めよ 立っていよ」という言葉が記された最初の仕事ではないか。同じ言葉をタイトルにした写真集に載る写真とはかなり違う印象を受けるのは、撮られた時期の違いもあるのだろうか。これらの写真は少なくとも清野賀子の写真を見る自分にとっては決定的な仕事だ。この写真を見ることから、また考えることを続ける。

 

・これらの写真を見て、写真について考えることから「カメラをうまくはたらかせること」という言葉が思い浮かんだが、その言葉をどのように展開できるだろうか。まだわからないが何かの予感がある。カメラの「はたらき」はもちろん「写すこと」であるのだが、「うまく写すこと」と言った途端に別の意味にスライドしてしまう。

 

・ダナーの靴を買った靴屋さんに持って行き修理を頼もうとしたところ「もうこれは修理不可です」との返答。13年履いていて、前半6~7年は山に行き、その後は主に寒い冬と雨の日に。確実にこの10数年で最も履いた靴だった。「修理できる物」にも「修理できない限界」があることは考えてみると面白い。「元に戻る」ということはない。それは別の制作が加えられるだけだ。別の制作を加えようにも手詰まりという状態がある。それは完成なのか。これからは雨の日以外に少し手加減して履こうと思う。

 

・201909250101。書きたかったことは他にもあるがまた別のタイミングで書く。