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  映像研究

夏から秋への小旅行

・201909041050。昨日は珍しく家族と休日が合う一日だったから葉山、神奈川県立近代美術館の柚木沙弥郎展へ。テキスタイルも格好良かったし鳥獣戯画も力強く心に残った。宮沢賢治雨ニモマケズの絵本の原画も良かった。絵を見ておそらく何度も読んだことがあるはずの言葉を目で追いながら「そういうものに私はなりたい」と思った。「そういうものに私はなりたい」と言ってみて、しかし「そういうものに私はなりたい」と思うことは、この世界で、この国で、この社会で、許されているのだろうかと考える。あるいは、今なおこの言葉が人に何かを考えさせる力があるとして、その言葉を掲げることは、この先いつまで許されるのだろうかと考えたりもする。

 

・今そういうことを考えたのは企画展「みえるもののむこう」で一之瀬ちひろさんという人の作品を見たことに依るかもしれない。写真とテキストの作品からは感じることが多く、その場でぐるぐる歩きながら、何かここには自分が考えたい/考えようとしている/考えたかったことが展示されていると思った。写真の問題、場所の問題、そして制度の問題、それらが折り重なりながら、確かな肯定のようなものがあるとも感じるのは、それが写真/カメラの力そのものを示すような仕事であるからだろうか。ミュージアムショップで行き手にした写真集『ON THE HORIZON』と『KITSILANO』『日常と憲法』を購入してみた。引き続き考えることができそうだと思う。

 

・そのまま砂浜に出てみれば海の家がたたまれている夏の終わりらしい光景。数人が泳いだり波打ち際で遊んだりしている。犬の散歩の人が通る。そして自分も写真を撮らなくてはと思い三脚を立てて久しぶりにGW690で撮影する。家族と二人で並んでタイマーを仕掛けてポーズを取る。写真が写されるまでの時間を感じる。夕方の光は強すぎず弱すぎずほどほどにある。その光の様子を見ながら何枚か撮る。この夏は全然写真を撮ることができなかった。仕事をしている時でも、文章を読んでいる時でも、勉強をしている時でも、写真を撮ることは難しい。しかしなるべく撮ろうと最近また考えている。日記に添えるための写真はipadで。クリアに写るそのイメージも決して悪いわけではない。

 

・バスに乗り電車に乗り換えて大船まで。病院で受けた検査の結果も問題なかったから、そのことを口実にして久しぶりの外食らしい外食。熊本の球磨焼酎を揃えた店で色々つまみつつ飲み、二軒目は前回も立ち寄ったヒグラシ文庫へ。お店の感じは若々しいが年配の人も多く良い感じ。電車を乗り継ぎ帰宅。これで今年の夏は完全に終わり。

 

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