&

  映像研究

3月になった

・201903010928。3月になった。3月はいつも劇的。毎年心揺さぶられ心折れそうになる。自分の居ずまいを正す必要に迫られる。迫るのはその時々の様々な事柄だった。2011年も2012年も2013年も・・・。それでしばらく日記を書いて書き続けてみることにする。散文を書くことから(再び)始める。

 

・39歳とか40歳とか言う活字(フォント)を見るとはっとする。その目に飛び込んできた時の感じ。その感じが自分の意識とどう折り合いをつけるか。きっといつでも誰もがそれぞれの時点で感じることだろう。江戸時代は寿命40年という雑な記事を読み、もうみんな自分の周りの人たちは余生だと言ってみる一方で、50歳って折り返しじゃないですかと宇川直宏という人が言っていた。不惑とは何か。色々な人と話がしたい。それは花見かもしれなかった。

 

・写真を考えていて書きたい文章もありしかし写真について「考える」ためには写真なのだからやはり写真を撮らなければいけないだろうと考えて試してきた2017年と2018年が去り2019年は撮っている。しかし何を基準にして「写真を撮っている」と言えるのか。1996~2000年までの自分は写真を撮っていた。毎日カメラを持ち歩き、目で見るすべてが写真に写す対象だと思って生活をしていた。現像、プリント、無印良品のクリアファイルに収納。無印のクリアファイル映えを考えていたかもしれない。今は同じ/違う目で同じ/違うことを考えながら時々写真を撮る。今週はじめてのラボに持って行ってみて写真を撮ることに大体幾らくらいお金がかかるのかわかった。FUJI690で撮影する場合、フィルムは1本約600円だから8枚撮りで1枚約80円弱。現像は650円だったから1枚約80円強。そしてLサイズのプリントは1枚200円だった。つまり写真を得るのに1枚約360円。もちろん35mmならばもう少し割安だろう。これを高いと考えるか安いと考えるか。現状を知れば知るほど高いとも言い切れない。だれかに頼まれているのならばデジタルデータだろうがコストを考えて提出しなければいけないのだろうが、自分の場合はそういう目的ではないのだ。写真がかつてどういうものであったのかを知りたくて撮っている。

 

・201903010955。中断。