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  映像研究

今日は

 
・201811160853。新しい朝が来た。今日は家で業務の時間まで作業。秋の秋らしさを感じる。感じる余裕もなく過ぎていく。いつかこの季節の変化、気温や湿度の変化、それ自体をつねに感じ続けながら生活をする、そんなことができるだろうか。そんな時間はあるのか。一方ではそれを望みながらも、他方で全然違うものも手放すことはできない。もう少し苦しむべきだと思う。自然から離れてしまうことに。感覚を持ち続けることだけしていれば、どこかで別のフェーズがはじまる。そう思いながら。


・一昨年の日記はとにかく必死で過ごす生活が刻まれていて、去年の日記には今年と同じような論文の作業のことが書かれている。いずれにせよ秋は何事かを、それも未来のことを考えているのだな、と思う。それはこの先どんどん寒くなって、さらにその先に新しい年や新しい年度が微かに予感されるからなのか。忘年感のふわっとした幸福感(自分はその季節を感じると未だに新宿三丁目の光景を思い出す、あの飲食店が広がっている場所のイメージ)を思って、そこで交わされる会話の中には、きっと未来を今よりももっと楽しくするようなヒントが潜んでいると考えるからなのか。いずれにせよ、秋は未来。


高木正勝という人の映像をある時期から気にして見ていて、それとともに音楽も気にして聴いていて、『Marginalia』というシリーズを今年はずっと聴いていた。それがCDになるという。買ってみようか。


・業務では引き続き「面接」「面談」「面接試験の練習」などのことをする。形式的なものに収まってしまうこともあるけれども、人と話すことはそれでも何かを考えさせる。反省させられる。中断。