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  映像研究

怒濤あるいは無為

 
・2016年の9月はこうして終わって行こうとしている。不思議な時間だった。記憶がほとんどない。何かに追われていたように感じていたけれども何に追われていたのかはわからなくて、ばたばたと新学期の準備を始めていたということなのか。部屋でなにかテキストを書くことをしながら缶ビールを飲むことが習慣になっていて、それはどうなのかと思いつつ、その合間にこういう全く意味のない文章を書くことができることは楽しい。だからこのペースを守ってしばらく日記を書いてみようかと思った。書ける範囲での具体的な事柄を完全にぼやかした、どこにも流れ着かない投瓶としての日記があったはずだった。それを「どこにも流れ着かない」と書く必要すらなく、自分にとっての文章を書く練習として取り戻さなければいけないのだった。昨日は思い立ってブックファーストちくま文庫ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』と『物質と記憶』を買ってみた。いよいよ物質と記憶について考えたかった。積極的に/無理矢理に、考えようとしなければその日はいつもでも来ないことはわかっていた。移動する電車でそれらを読む。